キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
古来より、

霧の中に「人ではない何か」がいることは知られてきた。


「霧の魔物」などと呼ばれ、
キリが言うように人や動物になれなかったものだとも、霧の中で独自に生きているものだとも様々に想像されているが──

確実に言い伝えられてきたのは、「それら」が概して不吉なものだということだ。


「それら」は、霧の中に迷い込んだ人を白い色の奥深くに引きずりこみ、世界からさらってしまう。



いるとわかってはいた。

それでも乳白色の森の中を数歩進んだだけで、当然のように出くわすとは。


自分たちがどれほど危険な場所を歩いているかをあらためて思い知らされて、ラグナードは小さく身震いした。

つないだ少女の手と足下のみずみずしいコケの絨毯だけを見て歩みを続けるうちにも、周囲の白い世界からは、何かが無数にうごめく気配が絶え間なく伝わってきた。


「ここかな?」

唐突に、

そう言ってキリが足を止めたので、ラグナードは彼女の背中にしたたかにぶつかった。


「ここって何が……」

不機嫌に問いながら顔を上げて、

彼は続きの言葉を口にするのも忘れて、あんぐりと口を開けた。


「ここでしょ? ラグナードが言ってた、開けた場所って」

キリが、木々のとぎれた土地を見回し、彼を振り返った。

不吉な白い色はいつの間にか周囲から消え、コケに覆われた広々とした大地が見渡せた。


キリとラグナードは、森の中にこつぜんと現れた一面緑の空き地のまん中に立っていた。


「ばかな──」

視界に広がる見覚えのある風景に、ラグナードは目を疑った。

「三日は歩く距離のはずだ」


そこはまぎれもなく、彼が三日前に降り立った場所だった。


いそいで背後に首を巡らせてみるが、まだすぐそばに見えていてしかるべき魔法使いの家は、

先ほど出てきた木の扉も、
傾きかけた古い屋根も、
窓も壁も、

影も形もなかった。

開けた土地をぐるりと取り囲んで、離れた位置に森の木々が繁っている。


「たった今、出発したばかりなのに……」

「うん。家を出てから三十歩」

「三十歩!?」

「霧が晴れる前に出発しようって言ったでしょ?」

キリはふわりと笑った。

「一日分の距離を十歩で移動したの」

「──それも、霧の魔法なのか……?」

「そう。霧の中は半分くらい世界じゃなくて、距離も失われるから、とってもカンタン」

とても簡単な魔法には思えなかったが、平然と言いきる魔法使いをながめて、ラグナードはあっけにとられた。
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