気ままに生きる
 1983年1月6日の渋谷公会堂のライブは昼の部、夜の部の2部構成で、この時代としては珍しいスタイルだって言われたけど、いきさつとかは俺はまったく分からないよ。この時印象に残っているエピソードはね、大きい会場だと外にテキ屋さんみたいのがいるでしょ。そこでジョニーって書いてあるのと、ルイスって書いてあるのと、チャーって書いてある、キャバレーでくれるようなマッチが売っているのを見たんだ。思わず笑っちゃったよ。

 この頃JLCを結成してから3~4年も経つと、このバンドでの演奏もだいぶ慣れてきて、遊び方、楽しみ方が分かったと思うよ。

 1983年3月20日。そんな仕事が一番忙しかった頃に、娘の真麻が生まれた。その時は出産に立ち会ったんだ。看護婦さんから子供が産まれたら声をかけてって言われて、俺は「いらっしゃい」って言ったんだよ。産まれてきた瞬間、まず最初に感激したよ。翌日は仙台市民会館でライブだったんだけど、ずっとハッピーな気分だったね。演奏も良かった!?と思うよ。出産日がずれていても、もちろん仕事には行ったけどね。

 でもその後には、子どもも産まれたのにバンドやってて大丈夫かなって不安が常にあった。だけど途中でふっきれたね。自分にはバンドしかないからさ。

 俺は子どもが大好きだけど、子育てということを考えて、子どもを育てるってことはない。子育てという設計図通りに育っていく人なんていないんじゃないかな。子どもはどんどん成長していくから、親の思い通りになんかいかなくなるでしょ。
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