気ままに生きる
“<動く応接間>キャサリン”に乗って、いろんなところに行くことができたよ
1990年代の中頃から後半にかけて、いろいろなレコーディングに参加したよ。その中のひとつが1995年の7月に発売された佐野史郎さんのアルバム「君が好きだよ」だった。
佐野史郎さんとはレコーディングの話がきて、スタジオで会ったのが初めてだったんだけど、佐野さんのことは実は知らなかった。初めて会った時の印象は、結構いろいろな音楽を知っていて、音楽好きの人だと思ったよ。
レコーディング中の時は、鮎川くん(鮎川誠…ギタリスト、1975年サンハウスのギタリストとしてデビュー、78年に妻のシーナとともにシーナ&ザ・ロケッツを結成、「ユー・メイ・ドリーム」などがヒット)が来て、“いい曲ができたよ”って言って佐野さんに弾いて聴かせていたよ。鮎川くんらしいストレートな曲だったのを覚えている。
鮎川くんのギターはシールドをアンプに直接挿して弾くから、その音が良かったよ。その頃はエフェクターをみんな足元にたくさん並べて弾いていたけど、俺はそれが好きじゃなかったからね。
ひろし(大口ひろし)とこのレコーディングを一緒にやったのは覚えている。佐野さんはカップスとテンプターズのメンバーとやるって喜んでくれてたよ。
佐野さんの歌やギターは“佐野史郎ワールド”だね。
佐野さんとは、その後何回かライブをやった。そのおかげでいろんなミュージシャンとも出会ったし、その後にウォッカ・コリンズでライブをやった時も佐野さんはよく観に来てくれた。
佐野史郎、Thank you so much!
佐野史郎さんとはレコーディングの話がきて、スタジオで会ったのが初めてだったんだけど、佐野さんのことは実は知らなかった。初めて会った時の印象は、結構いろいろな音楽を知っていて、音楽好きの人だと思ったよ。
レコーディング中の時は、鮎川くん(鮎川誠…ギタリスト、1975年サンハウスのギタリストとしてデビュー、78年に妻のシーナとともにシーナ&ザ・ロケッツを結成、「ユー・メイ・ドリーム」などがヒット)が来て、“いい曲ができたよ”って言って佐野さんに弾いて聴かせていたよ。鮎川くんらしいストレートな曲だったのを覚えている。
鮎川くんのギターはシールドをアンプに直接挿して弾くから、その音が良かったよ。その頃はエフェクターをみんな足元にたくさん並べて弾いていたけど、俺はそれが好きじゃなかったからね。
ひろし(大口ひろし)とこのレコーディングを一緒にやったのは覚えている。佐野さんはカップスとテンプターズのメンバーとやるって喜んでくれてたよ。
佐野さんの歌やギターは“佐野史郎ワールド”だね。
佐野さんとは、その後何回かライブをやった。そのおかげでいろんなミュージシャンとも出会ったし、その後にウォッカ・コリンズでライブをやった時も佐野さんはよく観に来てくれた。
佐野史郎、Thank you so much!