気ままに生きる

ブッチーは俺にとっては重要な人

 1997年のことだけど、カップスのメンバーからブッチー(ケネス伊東)が亡くなったということを聞いた。

 俺にとってのブッチーは音楽に関していろいろと教えてくれた人だった。高校生の頃、俺がエレキ合戦に出ているのを見て俺の家まで訪ねてきて、今度の土曜日にEMクラブっていうところでライブやるからギターで出てって言われたのが始まり。ブッチーのバンドのギターの人が骨折したこともあってリード・ギターがいなかったんだ。その時に、ヤードバーズ、ゼム、シャドウ・オブ・ザ・ナイトなどの曲を初めて聴いた。5日くらいで十数曲覚えて演奏したよ。

 それからブッチーとは一緒にバンドをやるようになった。ブッチーとはベースまわりをよくしていた。その頃ブッチーとやってたバンド名は“MOJOS”って名前。その後が“グループ&アイ”で、“ゴールデン・カップス”だね。

 ブッチーと最後に会ったのは20歳代後半の頃で場所はハワイだった。久しぶりに会ったけど、初めてブッチーに会った時とまったく変わってなかったよ。その時はブッチーは韓国人の女の人と結婚していたね。それで韓国料理のお店に連れて行ってもらった。そこはハワイとはまったく違った雰囲気だったな。おいしかったよ。

 あと、ブッチーはホノルルでプレイボーイ・ショップをやっていた。プレイボーイのウサギのロゴ・マークが入っているグッズを売っているお店だね。それがブッチーと会った最後だった。

 ブッチーは俺にとっては重要な人だよ。いろいろお世話になった。カップスのメンバーも俺と同じような気持ちだったと思うよ。
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