気ままに生きる

カップスのリーダーはトキさんしか務まらないね

 カップスの映画が決まって、いろいろな取材を受けることになった。その度に、カップスの頃のことを思い出していった。

 大きい場所、小さい場所、電気さえ通っていればカップスは演奏をどこでもやった。小さい場所でいえば狭いバーのカウンターの中、身動きがとれないようなところで演奏したよ。目と鼻の先でお客さんが観ていたのにはちょっとまいったよ。他には学校の教室や体育館、ダンスホール、デパートの屋上、スケートリンク、スキー場、宴会場、プールサイド……墓場以外ではどこでもやったよ。横浜の港祭りや銀座の祭りなどではトラックの荷台で演奏しながら町中まわったな。

 あと前にも書いたけど、テレビの朝のニュース番組で生演奏で長い髪の少女をやることになった時、マモルが遅刻して間に合わなかった。それで俺がドラムはたたけなかったけどドラムの場所に座ってたたいたよ。まいったね。

 いろいろあったけど、薬と同じで効能も副作用もある。等価交換と同じようなもんだね。

 実際にカップスをもう一度やることになって、新しい人との出会いがあったり、昔のグループ・サウンズ時代の人たちとも再会できたりしたね。グループ・サウンズ時代の人たちは、昔会った時とあまり変わりがなかった。でも俺は昔より太ったから、俺のことを分からない人もいたよ。

 この再結成で、いろいろなところで演奏したけど、俺たちの楽屋では禁煙でもタバコは吸っていたし、お酒もステージ前から飲んでいた。「思い出のグループ・サウンズ」みたいなライブだと、他のグループ・サウンズのメンバーが俺たちの楽屋に来て、一緒にお酒を飲んでいたよ。他の楽屋ではワイルド・ワンズがコーラスの練習をしたり、みんなまじめにしていたけどね。
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