気ままに生きる
 なかなかああいうアルバムは作れないよね。後からだから言えるんだけど、その自由な雰囲気が時代とマッチしていたんだろうね。ポリドールに折田さん(折田育造…プロデューサー、フラワ・ートラベリンバンド、内田裕也などをプロデュースした)という人がいて好きなことをやっていいって言ってくれた。なんの制約もなかったよ。

 だからスピード・グルー(スピード・グルー&シンキ…この後に参加するロック・グループ)というバンドもできたんだ。折田さんとの接点は信輝だった。信輝は東京に住んでいていろんな人をつかまえた。そういう商売みたいなのがうまかったね。

 フード・ブレインが解散した理由は俺は知らない。気がついたらいきなりスピード・グルーになっていた。あの頃はいろんな人が出たり入ったりしていたんだよ。柳譲二(柳ジョージ…解散時のゴールデン・カップスのベーシスト、後にレイニー・ウッドで「酔って候」「ウィーピング・イン・ザ・レイン」などがヒット)やジョン山崎、チャッピー(渡辺茂樹…ワイルド・ワンズのキーボード奏者)とかね。いろんなやつがやっている。

 そのうちのひとつ「FAREWELL TO HYPOCRITES」という曲が陳信輝&ヒズ・フレンズの「SHINKI CHEN」に収録されている。信輝は折田さんと仲が良かったからこのあたりも話が決まってたんじゃないのかな。あれもなかなか面白いアルバムだよ。

 もしかすると、つのひろ(角田ヒロ)が結構ちゃんとした人だったからそれがフード・ブレイン解散の原因かもしれないね。

 なんかみんな知らないうちにバンドがなくなっているね。別に気にしてないけど。
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