気ままに生きる
あと京都時代で覚えているのはいろんな人が来たこと。
矢沢永吉が1回来たな。キャロルを好きだったファッションデザイナー山本寛斎と一緒に来ていて、ちょっと演奏して帰った。少しは話をしたかな。その頃からうまかったけど、音はあまりでかくなかったね。歌中心で演奏の音は小さかった。
他にもジュリーも来たし、悠希千帆(樹木希林)さんとかも。裕也(内田裕也)さんと交際中で一緒に来ていた。裕也さんは結構京都に来てくれて、ごちそうになったりしていた。ふたりとはその頃2・3回一緒にライブをやったことある。裕也さんと悠希千帆さんがボーカルでカップスでバック・バンドをやった。悠希千帆さんは「買物ブギ」を歌っていたね。悠希千帆さん人気あったから、演奏終わった後、裕也さん機嫌悪くなっちゃったことがあったよ。
1975年1月頃デイヴ平尾とゴールデンカップスは解散したらしいけど、俺としては解散したっていうか、やっぱりあまり覚えていなくて京都から帰ってきたら解散してたという感じかな。京都から帰ってきたという感覚。その頃はもう毎日やっているわけじゃないからさすがに帰りたくなってくるしね。給料もらってやってるわけでもないし。
当時は横浜の山の上の方にアパートを借りていたんだけどだけど、家を空けっぱなしで、ほとんど住んでない状態だったな。
矢沢永吉が1回来たな。キャロルを好きだったファッションデザイナー山本寛斎と一緒に来ていて、ちょっと演奏して帰った。少しは話をしたかな。その頃からうまかったけど、音はあまりでかくなかったね。歌中心で演奏の音は小さかった。
他にもジュリーも来たし、悠希千帆(樹木希林)さんとかも。裕也(内田裕也)さんと交際中で一緒に来ていた。裕也さんは結構京都に来てくれて、ごちそうになったりしていた。ふたりとはその頃2・3回一緒にライブをやったことある。裕也さんと悠希千帆さんがボーカルでカップスでバック・バンドをやった。悠希千帆さんは「買物ブギ」を歌っていたね。悠希千帆さん人気あったから、演奏終わった後、裕也さん機嫌悪くなっちゃったことがあったよ。
1975年1月頃デイヴ平尾とゴールデンカップスは解散したらしいけど、俺としては解散したっていうか、やっぱりあまり覚えていなくて京都から帰ってきたら解散してたという感じかな。京都から帰ってきたという感覚。その頃はもう毎日やっているわけじゃないからさすがに帰りたくなってくるしね。給料もらってやってるわけでもないし。
当時は横浜の山の上の方にアパートを借りていたんだけどだけど、家を空けっぱなしで、ほとんど住んでない状態だったな。