夢浮橋
「蓮、昨夜から姿が見えませんでしたが…また夜遊びですか?」
鈴の音のような澄んだ声で、変わらず優しい微笑を向けて、半歩ほど後ろにいる白い猫へと女は問い掛けた。
湖を渡って爽やかな風が部屋へと入ってくる。
女の肩へ垂らした長い髪が揺れ、花のような香りが猫の鼻をくすぐった。
「…寂しかった?藤壺?」
蓮、と呼ばれた猫が言葉を発した。
白猫の愛らしい姿からは想像もできないような低い声色で、からかうような軽い調子で。
藤壺、と呼ばれた気品漂う女は微笑を崩さないまま猫へ手を伸ばした。
その細い指が届く寸前、猫の姿はうっすらと霧のように消え、直衣姿の若い男が現われた。
紺碧の瞳に端整な顔、短い黒髪、甘く優しい印象を与える若い男。
男が女の手を取りその甲に口付け、端整な顔で優しく笑った。
「ただいま、藤壺…」
「蓮…」
女は微笑を崩さないまま、男の頬にその口付けられた手を持っていき……
………思い切り爪を立てた。