触れないキス
「……ここでいい」

「近くなのか?」

「その角を曲がればすぐだから」

「そう。じゃ……気をつけて」


今さらそんな社交辞令みたいな気遣いなんていらないよ。

もっと、違う気持ちが欲しかった──。


「送ってくれてありがとう」


なんとか言い切った私は、涙がこぼれ落ちる前に、そらの顔を見ずに走り出した。


さっきまで気にもならなかった雨の匂いと蒸し暑さが纏わりつく。

その不快さと、そらから逃げるように走って家に入ると、美味しそうな夕飯の匂いが鼻をかすめる。


「ただいま……」

「あぁ、おかえり瑛菜! 今日は遅かったのねぇ。すぐ夕飯出来るから」

「うん……」


キッチンに立っているお母さんにそう言うのが精一杯で、二階へと階段を駆け上がる。

自分の部屋に入りドアを閉めると、力が抜けたようにその場にずるずると座り込んだ。


「ふ……っく」


我慢していた涙が一気に溢れ、そらの言葉が繰り返し頭の中を巡る。


『あんたのこと、何とも想ってないから』

『もう俺に関わるな』



「だったら、送ったりなんてしないでよ……!」


そらの考えていることがわからない。

人魚姫の話をした理由も、全然……。

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