君が居た世界が、この世で一番愛した世界だったから。
外はもうすっかり陽が落ちていて、さっきまでには無かった風も吹いている。
夏の夜の風は生温いけれど、気持ちが良い。

バッグルームに居る時からずっと、どう切り出してドーナツを渡そうかと悩んでいたのに、私はまた同じ事で悩んでしまっていた。
タイミングを掴めないまま、五分の距離は、あっという間に終わってしまった。

「へぇ。本当に近いんだね。」

感心する様に声を上げた藤原さんの横顔を見つめながら、もう今しか無いお、私は鞄の中の紙袋を掴んで、勢いで藤原さんに渡した。

「あのっ…、これ、良かったら受け取ってください。」

藤原さんは不思議そうに、けれどゆっくりと紙袋に手を伸ばして、受け取ってくれた。

「さっきお店で話してた事です。
先日昨日、藤原さんに失礼なお願いをしちゃったから。
昼間にちょっと時間があったので、ドーナツ作ったんです。
良かったら貰ってください。本当に他意は無いんですけど、嫌だったりお口に合わなかったら捨ててくれて構わないので。」

ちょっと時間があった、なんて時間では作れなかった代物だけれど、なるべく藤原さんが重く考えない様に言った。

「わざわざ作ってくれたの?
気を使わせて、悪かったね。俺がもう少し配慮出来ていれば良かっただけなんだけど。
でも、ありがとう。頂くよ。」

微笑む藤原さんを見て、私はホッとした。
生温い風が急に熱風に感じるくらい、緊張していたのかもしれない。
ちょっと汗ばむ自分に気がついた。

「お菓子なんて全然作った事が無いから、美味しくないかもしれませんけど。」

「そんな事無い。嬉しいよ。」

藤原さんは嬉しい言葉を、本当に自然に言ってくれる。
嬉しくて、私はようやく笑えた。

そんな時だった。悲劇が舞い降りたのは…。
肝心なところで、私はタイミングが悪い。
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