罪語りて所在の月を見る
決して清掃がやらなくても良いことになるわけではないが、自室の掃除をついついほったらかしにしてしまうナマケ心は大いに分かることだった。
『清掃より部活!』な熱血青春も、『たりぃ、だりぃ、うぜぇ』な堕落青春にしても、全ての生徒が清掃をやるわけがない。つけ加えれば、この清掃時間を生き生きやっている生徒もいないだろう。
みんなが『なくても良い時間』と思いそうな、単位がつかない清掃だからこそ、渉はその『サボりたくなる時間』にあるのが不思議だった。
授業が全て終わった放課後など一日の気力を使い果たした、ケータイで言えばバッテリー一本の充電してえよ、な状態に生徒はなる。
そこにサボってもリスクが低い清掃を割り当てるだなんて、今のようにサボり生徒がわらわら出てくるんだ。