きっかけは歯科検診
出会いは4月
目線は俺
山橋颯汰(ヤマバシソウタ)、27歳。
国立大の歯学部を6年で卒業、この地域では比較的大規模な歯科医院の歯科医として働き始めて3年。
家も裕福、彼女もいるし仕事も順調。
そんな俺が、初めて高校の歯科検診をすることになった。
「お前初めてだっけ?そんな緊張すんなよ、今日の学校はかわいい子あんまいないから」
「へー、そうなんですか。じゃあリラックスできそうです」
先輩の冗談を軽く流しながら、俺は別のことを考えてていた。
歯科検診なんかのことじゃない。
付き合って1年になる、彼女の舞華のことだ。
友達の紹介で知り合った彼女は、俺より1歳年上。
昔は読者モデルをしていたらしく、顔は悪くない。というより、かわいい部類に入るのだろう。
だから、告白されて付き合った。
毎日家に来て、家事をして帰る、いい彼女…なんだろう。
最初は助かったものの、最近はめんどくさい。
毎日家に来ては一方的に話し続け、最近は結婚の話題ばかりしている。
「友達の香織が結婚してさ、結婚式行ってきたんだけどすごい幸せそうだったよ〜。ミニのウェディングドレス着てたんだけど、舞華もあれ着たいなー。でもミニだから、やっぱり三十代はキツいよね。今しか着れないよー」
そんなことをひたすら話すのだ。
そこまでおいしくない舞華の手料理をつまみながら、適当に相槌をうつ夕食は、正直めんどくさい。
そこで、当分結婚する気はない、というと、
「舞華のこと、嫌いなの!?舞華は颯汰のこと大好きなのに!」
と泣き出す始末。
こんなことを7回繰り返しても、舞華は別れてくれない。
舞華は『歯科医の彼氏』を手放したくないのだ。
自分から振るのもめんどくさい。
毎日の家事をやってくれる舞華が便利なのも事実。
昨日のその7回目の舞華の泣き声を思い出していたのだ。
めんどくさい女に捕まったな…。
「では、お願いします」
続々と入ってくる高校生の歯を、ひたすら検診する。
この学校は虫歯の奴が多いな…。
「お願いします」
また一人、今度は女子か…。
特に、意味なんてなかった。
俺は、彼女の顔を見てしまったんだ。
艶々とした黒髪に、長い睫毛、ピンク色の頬。
虫歯があるかどうか不安なのか表情は悩ましげで、じっと見入ってしまう。
「………………先生?」
助手の先生の声でハッと我にかえった俺は、さり気なく検診票を見る。
児島桜子
彼女の名前は、児島桜子というらしかった。
「えーと、右上から~……」
彼女の歯は白く、虫歯もなく、歯垢も少ないとても綺麗な歯だった。
全て見終わって、俺は思わず言ってしまった。
「綺麗です」
って。
彼女ははにかみながら、
「ありがとうございます」
って言った。
時間にして3分弱。
たったこれだけのことが、俺の人生を変えてしまうなんて、思ってもみなかった。