金糸雀(カナリア) ー the Mule in a cage -
1.不可思議な軟弱者
ギイィィィ……
重厚な扉が開くと、柔らかな四月の風と光が、暗い室内に入ってきた。
続いて風よりも光よりも爽やかな気配があたりを満たす。
「おや、マリア嬢ちゃん」
古びた螺旋階段の手すりを乾拭きしていた中年女が、手を止めた。
「どうなすったね?」
「もう! その呼び方はやめてよ」
マリア嬢ちゃん、と呼ばれた少女は、バラ色のふっくらした頬をぷう、と膨らませる。
「わたくし、社交界にもデビューしたのよ。フロイライン(お嬢様)って言ってもらいたいものだわ」
「そんなこと言われてもねぇ」
中年女は肉づきの良い肩を竦めた。
「あたしゃ、よちよち歩きで四つ上の坊ちゃんの後ろをくっついて回ってた頃から知ってるからねぇ」
背伸びしたい年頃の少女にとっては、過去の恥ずかしい話や失敗を面と向かって話されるのが一番嫌なものだ。マリアは、ため息をつくと強引に話を変えることにした。
「お前と無駄口をきいている暇はないの。……ジャムスはいて?」
「執事さまですか? たぶんこの時間なら書斎においでなさるんじゃないですかね」
「そう。なら書斎へ案内して」
私は掃除中なんですけど。
口の中でブツブツ言いながら、中年女は持っていた雑巾を手すりにかけた。
「ご用はジャムスさまだけですか?」
「ええ」
「坊ちゃんはよろしいので?」
この問いかけに、マリアは歩みをピタリと止めた。
「いつまでたっても次期当主らしくないエミーユよりも、ジャムスの方が色々なお屋敷のことを知っているじゃないの」
「はぁ」
この中年女にとっては、エミーユは絶対の存在なのだ。自分の乳母が、どんな高貴な女性よりも--この国の王妃よりも、国王の愛人よりも--マリア様が一番美しい、と誉めたたえるように。
「エミーユには後で声をかけるわ。……どうせまだ寝てるのでしょ?」
重厚な扉が開くと、柔らかな四月の風と光が、暗い室内に入ってきた。
続いて風よりも光よりも爽やかな気配があたりを満たす。
「おや、マリア嬢ちゃん」
古びた螺旋階段の手すりを乾拭きしていた中年女が、手を止めた。
「どうなすったね?」
「もう! その呼び方はやめてよ」
マリア嬢ちゃん、と呼ばれた少女は、バラ色のふっくらした頬をぷう、と膨らませる。
「わたくし、社交界にもデビューしたのよ。フロイライン(お嬢様)って言ってもらいたいものだわ」
「そんなこと言われてもねぇ」
中年女は肉づきの良い肩を竦めた。
「あたしゃ、よちよち歩きで四つ上の坊ちゃんの後ろをくっついて回ってた頃から知ってるからねぇ」
背伸びしたい年頃の少女にとっては、過去の恥ずかしい話や失敗を面と向かって話されるのが一番嫌なものだ。マリアは、ため息をつくと強引に話を変えることにした。
「お前と無駄口をきいている暇はないの。……ジャムスはいて?」
「執事さまですか? たぶんこの時間なら書斎においでなさるんじゃないですかね」
「そう。なら書斎へ案内して」
私は掃除中なんですけど。
口の中でブツブツ言いながら、中年女は持っていた雑巾を手すりにかけた。
「ご用はジャムスさまだけですか?」
「ええ」
「坊ちゃんはよろしいので?」
この問いかけに、マリアは歩みをピタリと止めた。
「いつまでたっても次期当主らしくないエミーユよりも、ジャムスの方が色々なお屋敷のことを知っているじゃないの」
「はぁ」
この中年女にとっては、エミーユは絶対の存在なのだ。自分の乳母が、どんな高貴な女性よりも--この国の王妃よりも、国王の愛人よりも--マリア様が一番美しい、と誉めたたえるように。
「エミーユには後で声をかけるわ。……どうせまだ寝てるのでしょ?」