‐彼と彼女の恋物語‐
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……はぁ…」
二人の間に流れる重い空気。それを破ったのは彼が無意識に発していた重々しいため息だった。
やってしまった、そう思った時は既に遅し。びくり、と肩を震わして反応した彼女の瞳には涙が溜まっていた。
「ごめん、コト。泣かないで」
そう口にした途端、彼女の瞳から流れ落ちるそれは留まることを知らずポロポロと零れ落ちては頬を濡らしていく。
思わず抱き寄せて指で拭うがただ彼の指を濡らすだけ。
「ごめんなさい…っ」
「怒ってないから、謝らないで」
「敬さんっ…」
「うん、大丈夫だよ」
俯いてしまう彼女の顔が見えない。それでも彼女の泣き顔すら愛おしい彼は腰に手を回して抱き上げる。
急に至近距離にきた顔と顔。あと少しで唇が触れてしまうんじゃないかという距離で彼女は涙を止めることができないでいる。
そこまで思い詰めるなにかがあったことは確実。そしてそのなにかが聞けるまであと一押し。
「コト、言ってごらん。俺はコトのこと離さないから、ずっと一緒だよ」
甘い、甘い、甘すぎる言葉をとびきり優しい声音で鼓膜に直接呼びかける。
脳に、身体に、心に、彼女にしっかり届くように。
濡れたまつ毛が震える。彼女の手が彼の肩をしっかりつかむ。彼を捉えて離さない魅惑的な唇がはっきりと音を紡いだ。
「……赤ちゃんが、います」
彼がその言葉を理解するのは遅かった。
いつも一歩先で彼女の手を引いてくれている彼が、今は置いてけぼり。
まるで時が止まってしまったんじゃないかというくらい動かず、ぽかんとしている。
「……敬さん?」
なにも言わない彼にじわりじわりと襲ってくる焦燥感と不安と恐怖。涙が再び溢れ出す。
それなのに彼の声は彼女を心配する言葉ではなく。
「どこに…?」
なんて、彼にしては珍しい素っ頓狂なそれ。涙が引っ込むくらい珍しい姿だ。
「赤ちゃんって……コトの、お腹にいるの?」
いつもの大人の余裕がなくなった少し震えた声。ひとつひとつの言葉を確認するようにゆっくりと紡ぐ。
その言葉に、彼女は頷く。
瞬間、視界は彼でいっぱいになった。
ぎゅうっと大事に、でも力強く。
彼の鼻先が彼女の頬を掠める。触れるだけのキスを唇に落として、しっかり視線を合わせる。
「ありがとう」
少し涙まじりな声
溢れんばかりの愛情を伝えてくる瞳
綺麗な笑顔
彼は嬉し涙を我慢するくらいの幸せをくれた彼女に、何度も恋に落ちる。