忍びの花魅


「失礼いたします。桜太夫のご到着でありんす。」

襖の前で楓がそう声をかけると

すかさず御影屋の亭主が答えた。

御影屋「お入り。」

少し声が上擦っていたのは気のせいではなさそうだ。

中に入ると、
座敷にはすでに菊屋が待ち構えており、手前では御影屋が不安げに畳を見つめていた。


御影屋「太夫、少し遅かったのではないかい?」

怒ってはいないようだが、とりあえず遅れたことに対しては謝罪を促すつもりらしい。

桜太夫「すまないねぇ。あちきも忙しい身の上でありんすから。」

思ってもいない言葉を告げる。

菊屋「何をしてはるんや。二人してそないな芝居、せんでよろしいのに。」

(お前のせいだ。)
太夫はそう思ったが
ここで揉め事を起こす気にもならなかったため とりあえず我慢した。


そして…

前おきなしに、桜太夫がいきなり宣言した。

桜太夫「菊屋さん、あちきは…祇園に参るでありんす。」


はっきりと 太夫にしては珍しく 随分と大きな声でそう言った。


楓・椿「はぁ?!」

すかさず禿たちが頓狂な声を出したが 構わず続ける。


桜太夫「ただし、今からあちきの出す条件を飲んでくれたらの話でありんす。」


菊屋「そうか。来てくれるんやな。せやったら、何でもお言い。叶えたるさかい。」


御影屋の亭主は、不安と悔しさの入り交じった顔で、相変わらず畳を見つめ、じっと耳をそばだてている。


桜太夫「条件は… 」

ぎゅっと拳を握り、深く深呼吸をする。

そして言った。

桜太夫「あちきと共に、この禿二人も、身請けしてやっておくんなまし。」


「⁉なんだって?」

驚きの声を上げたのは御影屋の亭主だった。


桜太夫「あちきだけの身請け金だけでは、正直いって吉原の損にしかなりゃしんせん。
太夫の身請けがどれほど高値なのは分かっておりんす。それでも所詮は一人分。
値はしれていんすからねぇ。
吉原には何の足しにもなりんせん。
だから あと二人分、一人辺りの値もあちきと同じ値で出しておくれなんし。」


太夫の言葉は正にその通りで、皆一様に理解し、頷くが

納得している者は少ない。

そして、やはり菊屋が痛いところをついてきた。


菊屋「ははぁ。なるほど…。さすがは天下の桜太夫やな。まぁよろしいわな。金子はなんとか用意しまひょ。
せやけど、そのお二人さんと、青い顔してはる旦那はんは、ちゃーんと納得、していはるかえ?」
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