抹茶な風に誘われて。~番外編集~
「あたしったら何やってんだか……馬鹿馬鹿しい。お邪魔したわね。さよなら――お母さんによろしく。あ、そっか……こんな夜の世界の女からの挨拶なんて、いらないわよね。こんな汚れた――作り物の女」

 言い終える前に、ゆるんだ涙腺。ゆがむ頬。
 このあたしが泣くなんて――そんなの、あり得ない。

 あわてて踵を返して、ヒールの音を鳴らして歩き去ろうとする。コンビ二の前で、店員が『ハッピーバレンタイン』と書かれた旗を直しているのが見えた。

 ――そうよ、バレンタインはもう終わったの。どんな世界の住人にも、平等に与えられてた機会はもう……。

 タバコでも買って帰ろう。あたしは、あたしの住み慣れた世界へ――。

 頬をぐいっと手の甲でこすって、颯爽と歩き出す、つもりが――寝不足と二日酔いと疲労がごちゃ混ぜになっていた体は不安定で、石畳にはさまったヒールのかかとが、ぽきっと音を立てて折れてしまった。

「今日子さん……っ! 大丈夫ですか?」

 ぐらりと傾いだ体をあわてて支えた、力強い手。不器用でも、情けなくても、男らしい手の温もりは、不覚にも閉めたつもりの涙腺を再び緩ませてしまう。

「離してよっ――もうあんたなんて、客でもないんだから! もう会うこともないんだから……せいせいするわ!」

「え――?」

「ほら、バスが出ちゃうじゃない! さっさと行きなさいよ――それでもう二度とあたしの前に顔見せないでっ! 一生田舎で暮らして、どっかのいいとこのお嬢さんと結婚でもして、ガキでも作って幸せになればいいのよっ」

 何を言ってるんだろう、あたし。本当はそんな風に、こいつのそばで平凡な幸せも悪くないかな、なんて考えたこともあったのに――。

「ちょっ……ちょっと待ってください、今日子さん! ひどいですよお、そんな――まるでずっと帰ってこないみたいな言い方」

 振り放そうとするあたしをなんとか押さえてそう言う、困った顔。ぱちくりと瞬きを繰り返すその瞳は、混乱だけを伝えていた。

「は――? だって、あんたもう田舎に帰るんじゃ……」

「はいそれは――有休使って、一週間だけ。すぐ戻ると思ったし、今朝はかお……今日子さんが、あまりにとりつく島もない感じだったから、言いそびれて」

「何よそれ……! じゃああれは一体――」

 言いかけて、あの嫌味に綺麗すぎる男の言葉は、目の前の彼から聞いたものではないことに気づく。
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