抹茶な風に誘われて。~番外編集~
「あー……つっかれたあ……」

 三時間街頭で立っているというのは、意外なほどに疲れるものだとあたしは店を後にしてから気づいていた。

 一応コート着用可だったものの、店の制服であるふりふりエプロン付きスカートは、少し生地が薄すぎた。いくら元気はつらつ女子高生のあたしとしても、やっぱり素足では冷えるのだ。棒のようになった足をひきずりながら、冷え切った体をさすりさすり、駅までの道を歩く。

 バイト仲間ちゃんのあの子も、疲れ切っちゃって最後にはほとんど喋らずじまい。「また今度遊ぼうねー」なんて言い合って、メルアドだけ交換してみたけど、そんなの単なる社交辞令だ。もう次に会うことなんてないことはお互い承知の上だから、登録した名前を覚える気もなかった。

 再び制服に戻ったら、余計に空しくなってくる。すっかり本格的な夜突入、と相成る午後八時半。駅前通りの賑わいは増していて、嫌でも目に付くバレンタインのイルミネーションやら旗やら、ポスターやらがこぞってあたしを嘲笑っているような気にまでなった。

『そこのお前―、今日はバレンタインだぞー? 一人っきりで寂しいねえ~』とか何とか、イヤミな顔でも付いて笑っているような幻覚が見える。

「あーうっさい! バレンタインなんてねえ、所詮お菓子会社の陰謀なんだっつうの!」

 ドカン、と路地の隅のゴミ箱を蹴飛ばしたら、ニャアゴと猫が抗議する。つい猫にまで恨みがましい目を向けてしまってから、ふるふると首を振った。

 ――やだやだ。とっとと帰ろうっと。

 大理石のテーブルには温かな食事が用意してあって、お風呂もいつでも入れるようにしてくれている。洗濯物もちゃんと乾いて、綺麗に畳まれて置かれている。

 もちろん、あたしの自室も含め、広々とした家のどこもかしこもピカピカに磨かれている。それが我が家の家政婦、豊子さんの毎日の仕事だからだ。といっても彼女の労働時間を過ぎて帰宅するあたしだから、滅多に顔を合わせることもないのだけれど。塵一つ落ちてない部屋だけが、灯りを点けたあたしを迎えてくれる毎日。そんなものに涙したのは、せいぜい中学の頃までだ。

 今ではなれっこだから、別に寂しいなんて思わない。かえって気楽でいいとも思ったりする。でも、やっぱりごくたまに――こういうイベントの日には、少しだけ思い出したりする、こともある……まだ、家族団らんというものが存在してた、昔の家の風景を。
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