理想の瞳を持つオトコ ~side·彩~
高校3年の夏休み…

図書委員だった私は、たまたまあの日が当番で…

図書室の鍵を開ける前に、忘れて帰ってしまっていた本を取りに教室に向かった。


誰もいないはずの教室の扉を開けると、床にアグラをかいて、鞄に荷物を詰め込む男子生徒がいた。


生徒に扮した物盗りか何かかと、ビックリして悲鳴を上げようとしたその時…

男子生徒と目が合い、彼が同じクラスで隣の席の、新地洋介だと気付いた。


彼が学校に来るなんて、いつ以来だろう?


水泳部に所属し、自由形、背泳、バタフライ、個人メドレー…

次々と高校記録、日本記録を塗り替え、
『和製マイケル・フェルプス』
なんて世間で呼ばれる彼は、試合や合宿でほとんど学校へ姿を見せることはない。


隣の席の私ですら滅多に会わない彼が、なぜ夏休みの教室に一人で居るのかと不思議に思いながら…

「………おはよう」
適当な会話のきっかけが思い付かないまま、無難な挨拶をした。


「おはよう。部活?」

相変わらず荷物を詰め込みながら、そう尋ねてきた彼が、私なんかに興味があるわけないけれど、

「ううん。
私、図書委員だから鍵を開けに来たんだけど、自分が借りてた本、机の中に忘れちゃって…」

一応そう答え、机の中に置き忘れた本を探す。


「ふぅん。
…なぁ、図書室って涼しい?」

「クーラー入るから涼しいよ。
利用者なんて、殆どいないのに、もったいないよね?
だから、こっそりお昼寝しちゃうんだけど」

どうでも良いような会話と愛想笑いを浮かべ、本を取り出して立ち上がると…

急にその腕を掴まれて、

「…俺も行く」

そう言って立ち上がった彼に呆気にとられたけれど、生徒ならば誰もが有する図書室利用の権利を、私に断る権限も理由も無いから、

「………どうぞ」

と答えるほか無かった。


たまにしか登校しない割に、クラスにはすぐに馴染んでワイワイ騒ぐ明るい性格の彼が、会話も無く私の後を付いてくるなんて…

と、気まずさを感じながらも、何を話せば良いのか分からず先を進みながら…

そういえば、彼が肩の故障で日本代表の座を逃したのを思い出す。


学校はもちろん周囲からの期待に、追いかけまわすマスコミ…

プレッシャーの中で戦ったレース中に突然襲いかかったアクシデントに、彼は何が起きたのか把握できない困惑の表情を浮かべていたのを、校内応援用に設置された大型スクリーンで見たんだった。



中学時代、私も水泳部に所属していて…

と言っても、彼とは比べ物にならないような平凡な成績だったけれど…

それでも、それなりに一生懸命に練習に打ち込んで、最後の大会でなんとか決勝に残ることが出来たのに…

レース中の肩の脱臼で棄権せざるをえなかった。


過度な練習が原因だなんて、笑い話にもならないような理由に、ひどく傷ついた記憶が蘇る。


凡人の私ですらあんなに傷ついたのだから、天才と持て囃された彼の苦悩と絶望はいかばかりだろうと、されたくもないであろう同情心が沸き、尚更、なんと声をかければ良いのか分からず、言葉は出てこなかった。


図書室の扉を開けると、自動制御で冷やされたクーラーのお陰で、ひんやりとした風が吹き抜ける。


「もったいねぇ」

と、誰もいないその空間を見渡して呟く彼に、

「でしょ?
お昼寝してってもいいよ~」

なんて、いつもの教室のノリでそう言うと、

「俺って、本なんか読みそうに無いから?」

苦笑いする彼に、調子に乗りすぎたと慌てて否定しようと

「ごめん、そういう意味じゃ…」

謝ろうとする私の言葉を遮り、

「そうだよ。本なんか読まない。
お前と二人っきりになりたくて来たんだ」

そんな突拍子もないコトを、突然口にした彼に呆然とする。


「ずっと、好きだったんだ。
3年間、同じクラスだったのに、ロクに喋れなかったけどさ。

席替えだって、こんなに何度も隣同士になったのに、殆ど見向きもされなかったけど…」

「それはっ…」

「でも…俺は勝手に、運命感じてた。
誰とも付き合わないのは、俺のこと待っててくれてるのかなって、勝手に期待もしてたし…

肩の脱臼だって、お前と同じだろ?」

「えっ!?」

彼がなぜ私の故障を知っていたのか分からず…

彼の口から発せられた『運命』という単語がグルグルと頭を巡っていた。
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