I MY ME MINE
夢を、与えたいと思っている。
感情を、与えたいと思っている。
それが出来るのは、創り出す側である必要がある。
私は、自分が誰かから必要とされているかどうかも分からない。だから、必要とされる人間でありたいと考えた。
その結果、どのようなシチュエーションに居ようと、その場で"生きる"ことのできる、役者になりたいと思った。
観た人に感動を与え、観た人が何かを考えるきっかけとなれる存在。
最初はアニメからだった。
平面のキャラクターたちが動く、喋る、感情を表す。
特に喋るということが、幼心に強烈だったようで。
そして今では、自分が平面のキャラクターに声という命を吹き込もうと、必死になって勉強している最中なわけだ。
私が、自分が社会に出て働いている場面や、ニートになって両親を困らせている場面を想像できないのは。
きっと、私が私でいられる理由を探して、あっちこっち走り回っているからなのだと思う。
ここにいていいかどうかなんて。
最終的に決めるのは他人かもしれない。
私を評価するのも他人だ。それ以外にない。
けれど、私がここにいたいと思うなら、そこに居続ける努力をするだろう。
やりたいことがある、そのために今を努力する人は沢山いるだろう。
自画自賛するわけではないが、私もそれなりに頑張っているつもりだ。
しかし、それが本当に自分のやりたいことかどうかを、しっかり自身と対話した結果なのかどうか、よくよく考えてみた。
考えた結果、それ以外の仕事をしている自分を想像できなかった。
演じる、ということを自分から取り上げたら、何も残らないことに気付いて私はゾッとした。
つまり、たとえ芽が出ずノコノコ故郷に帰ってきたとしても、"一片も"とは言わないだろうが、悔いはさほど残らないということだ。
ならばやるだけやってやろう、吐血するほどのめり込んでやろう、と思ったわけだ。