とあるアイドルの恋愛事情 【短編集】
「はい、これ。花屋のおじさんがくれた」
「わぁ!ありがと。シン大好き」

この言葉が聞きたくて、こうして笑うのが見たくて花屋に寄るんだろな、きっと。俺も大人になったねぇ…なんて、誰も褒めてはくれないだろうから自分でこっそり褒めておいた。
 

半開きになった扉の隙間からは、聴き慣れた歌声と何かを煮込む音がする。リビングの窓から入り込む風によって、一気に空腹感を頂点まで持って行くそんな匂いが運ばれて来た。

「腹減ったー」
「じゃあ直ぐご飯にしよっか?今日のご飯はシンのリクエストに応えてオムライスだよ」

仕事の名残で1つに結わえられたままの髪を引き、俺より気持ちふくよかな体を腕の中に収めて鍋を覗き込む。

「うーまーそ。てか、美佳少し痩せた?」
「あー、かもね。最近体育祭の練習で一緒になって動き回ってるから」
「明日だっけ?俺も行っちゃおっかなー?」
「え?来る?別に良いけど」

美佳の仕事は高校の先生。今年晴れて副担任を持たせてもらって、担任の先生がお年寄りらしく「あたしが頑張らなきゃ!」と毎日大張り切りだ。頑張り過ぎる悪い癖があるのを知っているからこそ、耳元で囁く声もいつもより優しくなる。

「あんま痩せちゃダメだよ?抱き心地が悪くなる」

そっと気付かれないように動かしたはずなのに、その手は目的地に到達するまでにパシッと払い落とされて。悔しいから、今度は堂々とロンT越しに胸を掴んでやった。

「ここはこのままキープよろしくね?」
「あれ?シンのタイプは貧乳ちゃんじゃないの?」
「んなこと言ったっけ?」

再び叩かれた手を擦りながらキッチンから出ると、ダイニングテーブルの椅子を引く。その音に気付いて、花瓶に花を生けていた美佳がひょこりと顔を覗かせた。

「直ぐに用意するから、ちゃんと手洗っておいで」
「母さんかよ」

落ち着かせようとしていた腰を重くなる前に浮かせ、カウンターの上にあったゴムで前髪を縛りながら洗面所へと移動をかけた。

後ろから「可愛いねー」なんて冷やかしの声が聞こえるけれど、邪魔なものは仕方ない。ドラマがクランクアップするまで髪は切れないだろうし、こんなに邪魔になるんなら言われたとおり単発のドラマやる前に少しでも切ってもらえば良かったかもしれない。やっぱ美佳にやってもらえば良かった…と、眠いからという理由で拒否したことを2ヶ月後に後悔した。
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