女の隙間、男の作為
そして松岡なる男はアレから息を潜めたように大人しくなり、今までのアレは何だったのかと胸倉掴んで問い質したいくらいの潮の退きっぷりだ。
いったいあの男の目的は何だったのだろう。
本気であたしのことをすきだったとは到底思っていなかったけれども、言動がまったくの謎だ。
瑞帆の妊娠はオフィシャルな事実となり後任者の選出もはじまっている。
あたしが起案した物流費の低減は結城の働きにより結果を生みそうだし、おかげで来期の受注も確定した。
部長からはお褒めの言葉も貰えたし、美味いビールと上等な肉にもありつけたし、概ね良好な日常を取り戻しつつあった。
そんな馴れ合いの日々に予想外の喝が入ったのは、社内便当番の女の子から新規伝票20件を渡されたタイミングだった。
「うわ。コレ全部あたしの分?」
「はい。全部評価試験案件でしたよー」
「ってことは海外案件?今、何時だっけ?」
2時過ぎーという間の抜けた声はもちろん瑞帆のものだ。
「為替予約のリミットまで30分切ってるし!20件も間に合うかどうか微妙じゃん」
「明日に回せばー?」
「今日のレートが79.80、昨日が78.41。これって明日まで待つべきだと思う?」
「微妙なところだね。明日は80円台の可能性もあるし」
「買案件で客先提示レートが83円なの。手堅く4円の利益を確保しておくかなー」
「何にせよ20分で20件だよ。迷ってる時間はないんじゃない?」
決断は素早く。
迷うよりも先にシステムにログインして、伝票と画面を交互に見ながらの高速インプット。
三度確認をして締め切り3分前に予約実行ボタンを押したところで、タイミングを図ったかのように部長から呼び出しがかかった。
しかもいつものように部長のデスクの横の打ち合わせスペースではなく個別会議室ときた。
半期に一度の面談なら先々週に終わらせたばかりだし、呼び出されるようなミスもしていないのに。
「いったい何のお話ですか?
瑞帆ちゃんの後任の件ならあたしはノータッチですよ?」
「その件は人事と掛け合ってなんとかしようとしてるところだ。カノには別件」
「はぁ。これ以上の業務負荷はノーサンキューですが、念のため聞きましょうか」
「実はな…」
続く部長の言葉を聞いて、一瞬どころか数時間は頭が真っ白になったのは当然のことだと思う。
その後の仕事をどう処理したのか記憶がないくらいに動揺してしまっていた。
親友が妊娠して産休に入る。
同僚二人に口説かれて、そのひとりと肉体関係を持った。
そしてそれ以上の難題が再びあたしを襲ったのだ。