女の隙間、男の作為

「何ですか?赤はイヤだけどちゃんと処理しますよ?」

“わかってるよ”と言われるのはそれなりに信頼されていると思っていいのだろう。

「松岡ー!ちょっと来い」

誰だ松岡って。

そう思うのと同時に聞き覚えの無い声と見覚えのない顔があたしの聴覚と視覚を占拠してしまった。

「松岡。これが岡野。うちの有能なアシスタントだ。
さっきのを見ての通り営業担当より数字と利益に執着する営業部の鏡のようなヤツだ。
お前とはグループは違うがうちに配属になったからにはカノとは仲良くしたほうがいいぞ」

“な?カノ”

チッと内心で舌を打つ。
ジョークのつもりだろうけどこっちにしてみれば迷惑な忠告だ。
まるであたしがここのボスみたいじゃないの。
営業部のボスは部長であるあんたでしょうが。

「で、コイツが今日から化学品グループに配属になった松岡」

あぁコレが瑞帆が言っていた例の本体からの出向者か、とようやく合点がいった。
さすが駅前の高層ビルに勤めていただけあって手堅いセンスだこと。
そのネクタイがポールスミスだということは一目でわかった。
シャツとの合わせ方といい文句なし。

これは結城といい勝負かもしれない。
見上げた角度からおおよその身長も計算できた。
179cmってところだろう。

それから黒曜石みたいな瞳。
大きすぎず小さすぎず絶妙なその形に思わず視線を止めそうになったがぐっと堪えた。

この手の男と3秒以上視線を絡ませるのは良くないと長年の経験が警告している。

「はぁ、どうも。はじめまして、岡野です。
隣の電池材料グループに居るので、飲み会の際はお声がけください」

「松岡です。よろしく。…なんで飲み会?」

「あぁ松岡。重要なことを言い忘れてた。
カノはうちの接待要員選抜メンバーだ。
ダブルブッキングすることもあるくらいの人気要員だからアポは早めに取ったほうがいい。そうだよな?」

色々と訂正したい情報だらけでどこから手をつければいいかと思っているところで“カノさん、お電話です”という後輩の声が聞こえた。

部長の誤情報の修正より優先すべきなのは明らかなので“では松岡さんよろしくお願いします”と一礼して自分のデスクへと走る。

“…カノさんというのは-”
“あー岡野の呼び名だ。オカノの後ろ二文字をとってカノ。
昔からそう呼ばれてるらしいぞ。
むしろそれ以外の呼び方をするほうが危険なくらいだ”
“へー”

などという聞き飽きた会話が背後で聞こえたけれどいちいち気にしてはいられない。

保留ランプが点灯している電話のボタンを押して受話器を取るのと同時に営業スイッチをオンにした。

やっぱりあたしの日常はこうして始まりを迎えるのだ。
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