女の隙間、男の作為

「それはご苦労なことだけど、呼び出す名前が間違ってるんじゃないの?」
「え?」
「この会社には“結城麻依子”なんていないけど?」
「なに言ってるんですか? 自分の名前も忘れたわけ?」

朝一番に鳴った電話を取ったら甘ったるい女の声でこう言われたのだ。『結城麻依子さんにお渡ししたいものがあるのですが』と。

「あのね。今時結婚したくらいで仕事の姓を変えたりしないの。メールアドレス変えたり名刺作り直したり無駄なコストでしょ? この会社に在籍してるのは“岡野麻依子”。ほら、社員証見る? あなたに名刺渡すつもりないし確認はこれでどうぞ」

仕方なく首から下げていた社員証を外してテーブルの上の黒いiPhoneの横に置いた。若い女はどうでもいいのか見もしない。

「とにかく結城さんの携帯です。昨日お忘れでしたのでお持ちしました」

女は威厳を取り戻すかのようにゆっくりとそう言っている。なにこれ、あたしに喧嘩売ってるってこと? 水曜日の朝一から? くそめんどくさい。

「だからどっちにしろ呼び出す名前が違うってば。結城の携帯なら結城を呼び出して返せばいいでしょう? 内線番号教えてあげるから再度あの受付の電話でお呼び出しをお願いします。10時半から会議のはずだからお早めにどうぞ」

早くデスクに戻って伝票処理と紙ベースでした保管してない過去伝票探し出して金額確認しなくちゃいけないんだ。早く解放してくれ。
こんなに勤勉なあたしを前にしてまだ女は納得がいかないのか。挑むようにあたしを見据えている。うーん、カラコンがずれてて目がたいへんなことになってるって教えてあげるべきかな?

「あ、それじゃ意味ないのか。“結城の妻”にコレを返さないとマウントとって勝ったことにならないのか」
「ちょっ、失礼なこと言わないでよ」
「失礼なのはどっちだよ。日本語は正しく使おうよ。あたしはあなたの承認欲求を満たすのに付き合ってあげるほどヒマじゃないんだってば。とにかくソレは結城に返してよね」

席を立とうとしても、女は山のごとく動かない。風林火山かよ。怖いよ。
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