女の隙間、男の作為
「あんたってほんとに最低だね」

結城は何も答えない。
いつもニコニコ笑うだけだ。

そして今朝フレックス出社した瞬間から気づいていたけれど、結城の今日のネクタイは去年の秋にあたしが見立てたアクアスキュータムだった。

当時、現場でネクタイをダメにした結城が電話を掛けてきたのだ。

“現場に付きっ切りで離れらないけど今夜は接待あるからノーネクタイは不味いから、カノ、悪いけど買ってきてデスクに置いておいて”

結城がバーバリー愛用だと知っていながらわざと別のレーベルにしてやった。

本当は嫌がらせのつもりでもっとお高いブルガリでも買ってやろうと思ったけれども、その日結城が着ていたシャツに合う柄がなかったのだから仕方ない。

結局同じ英国産のコレにしたんだっけと当時のことをほんのり思い出しながら、結城に気づかれる前にそのネクタイから視線を外した。

「カノ」

結城の手からグロスを取り上げてポーチに仕舞いながら“なに”と気配だけで答える。
(この辺りが周りから夫婦扱いされる所以なのかもしれない)

「松岡とつきあうの?」

動きを止めてしまったのはその声に寂しさを感じ取ってしまったから。

そう。
まるであたしは“裏切らないで”と言われているような気がした。

誰を?
たぶん松岡でも結城でもない誰かを。

「…つきあわない」

それは誰への答えなのだろう。
あたし自身へのものなのか、此処には居ない誰かへのものなのか。

結城はたぶんわかっている。
あたしも結城がわかっていることをわかっている。

これはあたしが嫌う男と女の無意味で手の掛かる正解のない会話そのものだ。

“あんただってわかっているくせに”

その台詞だけはぐっと飲み込んだ。
それを言ってしまったらたぶん過去に一気に浚われる。
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