女の隙間、男の作為
「お客さん、つきましたよ」

タクシーの運転手のおじさんの声が一気に正しい時制へと戻してくれた。

「タクシー代はあんた持ちだからね」

「俺が一度でもカノに財布を開けさせたことあった?」

「…会社の売店は数に入る?」

結城は答えない。
そしていつものようにあたしの頭をポンと撫でてからその手を背中に添えて店の中へと進む。

「あたしってさ、アシスタントの割りに名刺の消費がやたら早いと思うんだけど」

在庫薄の名刺入れを上着のポケットに入れておく。
来週早々にも総務に発注をかけなくては。

総務の大政所からはまた嫌味を言われるのだろう。

“あら岡野さん、また追加なの?”とかなんとか。

「そりゃ営業部だから当然じゃね?」

「内勤のアシスタントの名刺がこんなに減るわけないでしょ。また総務のおばちゃんに嫌味言われるよ」

「俺の分もついでに依頼しとけば?」

「なるほどその手があったか!」

結城の女タラシもたまには役立つこともある。
結城の分の依頼書を上にしてあたしの分はその後ろにこっそりつけておこう。

“本人は急いでいるみたいなので出来上がったら連絡いれてあげてください”とでもメモを置いておけばそれこそ最優先で対応してくれるに違いない。

「じゃ、カノちゃん、いつもの感じで頼むなー」

時刻は19時5分前。
週末の残業はアルコールと共に。

それが岡野麻依子のあるべき日常なのだから。



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