女の隙間、男の作為
愛用の腕時計が示す時間は午前9時47分。
今週で既に二度目のフレックスだった。
「…はよーございまーす」
テンションの低さを取り繕うことなく紙パックの野菜ジュースのストローを咥えながらデスクにどすんと腰を下ろす。
デスクトップのパソコンの起動させて、頭より指先が覚えているパスワードを打ち込んだところで背後の席から同期の瑞帆の声がした。
「相変わらずの重役出勤で」
“男の部屋にでも泊まった?”
その声の主に振り返ることなく出勤ボタンを押して残りのジュースを一気に飲み込んだ。
「瑞帆ちゃん。その性格治したほうがいいと思うよ」
答えを知ってるくせにわざわざ問いかけるなんてナンセンスだ。
あたしはそういう男と女の間にあるような無意味で手の掛かる正解のない会話は大嫌いなのに。
「あんたに言われたくないけどね」
“カノ”と呼ばれてようやく振り返った。
案の定、瑞帆はその綺麗な顔に含みのある笑いを浮かべている。
綺麗なロングストレートの髪はいつ見ても根元から毛先まで同じ色だ。
ちなみにあたしの肩までの髪は数年前からカラーを入れていない。
地毛のダークブラウンのままだ。
理由はもちろん頻繁に美容院に行くのが億劫だから。
(経済的かつ合理的な理由でしょ)
「昨夜は何時まで?」
「あー店を出たのが3時過ぎ。
そこからタクシー走らせて部屋に戻ったのは4時前ってところかなー」
「あんたのその営業魂には完敗だわ」
「しょうがないでしょー。先輩が産休に突入したおかげで女子はあたししか居なくなったんだから」
「だからって接待飲み会の“ラスト”まで付き合う女なんてカノくらいだよ」
“あたしはいつも一次会で帰るし”
瑞帆の言い分は至極正しいと思う。
あたしだってできるものなら仕事関連の食事会なんて一軒目で帰りたい。
そんな全うな思考を持ち合わせていた時期だってちゃんとあった。
でも仕方ないのだ。
一度ラストまでつきあってしまったが最後“カノちゃんを呼べば間違いない”と社内で太鼓判を押され、何なら取引先からだって“カノちゃんも来るんですよね?”と事前に念を押されるレベルにまであたしの名前は知れ渡ってしまったのだから。
商社の営業なんぞに配属が決まった数年前の人事であたしの運は決まっていたのだろう。
その後長きに渡ってこうしてフレックス出社が公認になるほど“定時後の一戦力”として認定されてしまった。
納得するしないの問題ではなくこれは事実なのだから致し方ない。