女の隙間、男の作為

「お先に失礼しまーす」

フロアにちらほらと残る営業マンに形ばかりの挨拶をしてオフィスを出掛けたところで魔のタイミングで松岡に遭遇した。

「あれ?カノ、帰れるの?それなら――」

「ごめん、今日はヘトヘトだし帰るわ」

“カステラ、ごちそうさまでした”

松岡はあたしの頭に手を置いただけで引き下がってくれた。
それから“気をつけて帰れよ”の余計な一言も。

あたしは“おつかれさま”の定型文の6文字だけを返した。

たとえばここで強引にあたしの腕を取るような男なら何の躊躇いもなく邪険にできるのに。
それをしないところが松岡や結城の面倒なところだ。
妙に大人で変に優しい。

女だって年を取れば取るほど面倒になると思うけれどそれは男にも言えることだと思う。
分別があるからこそ、断ることにも応じることにも余計な手間がかかるのだろう。

そしてあたしにはそれを楽しむ趣味がない。
それだけのこと。


アパートの近くのコンビニでできるだけ低カロリーの弁当を温めてもらっているタイミングでiPhoneが鳴った。
ディスプレイには“実家”の二文字。

疲れ果てた帰り道で実家の親と電話するなんて自殺行為だけれど仕方がない。


「もしもし」

「あ、マイコー?」

「なぁに、どうしたの?」

店員さんが差し出してくれたビニール袋を受け取って小さく会釈をしながら店を出る。
“ありがとうございました”という声はまるで録音みたいにいつ聞いても同じトーン同じボリュームだった。

「あんた来月、こっちに帰ってこれない?睦月が一時帰国するみたいなの」

睦月とはあたしの3つ年下の弟だ。
現在フロリダ在中の万年学生の岡野家のお荷物。

「むっくん、戻ってくるの?なんで?」

“資金不足?”

あたしのジョークに母親は笑えないわよと溢している。
どうやら大いなる国にいても相変わらず甘ったれた弟のままらしい。

「半年ぶりの帰国だし、あんたも同じくらい戻ってきてないでしょ。お父さんも寂しがってるし戻ってきてよ」

世間一般の母親からすれば五月蝿くないほうだと思う。
30を目前にしても結婚の「け」の字もない娘に対して急かすこともしないし説教することもない。
でも期待しているのもわかっている。実家から足が遠退くのは期待に応えられない身勝手な後ろめたさの所為だ。

「わかった。帰るよ。むっくんにも会いたいし。フロリダ産イケメンをお姉ちゃんへのおみやげにしてって言っておいて」

「それならお母さんも欲しい。睦月にリクエストしておく」

我が母ながらアグレッシブすぎる。
そして本当に彼女ならば自分の息子にそのリクエストを一言一句違えることなく伝えるだろう。
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