女の隙間、男の作為
自分ですら買ったことのない外資系の香りの強いボディクリームまで丁寧に塗って、借りたシャツを着てリビングに戻れば、部屋の主は上半身裸のままソファに座り、膝の上にノートパソコンを乗せて画面を睨んでいる。
テーブルの上にはモルツの空き缶。
「カノも飲みたかったら冷蔵庫から勝手に出して飲んでいいよー」
「あぁ、うん」
冷蔵庫には見事にビールと水しか入っていない。
キッチンも綺麗なものだし、まず間違いなく自炊なんてしていないのだろう。
プルトップを開けて溢れ出た泡を慌てて啜る。
風呂上りに男の部屋でビールを飲むとか、どこの倦怠期のカップルだ。
「あんた、まさか仕事持ち帰ってるの?」
結城の膝の上にあるノートパソコンはあたしが良く知るものだ。
ログインパスワードもショートカットの並び方も全部把握している、優秀な営業マンのPC。
「あぁ、今日打ち合わせで仕様変更出たから日程表の練り直しー」
「仕様変更ってどの件?」
結城の答えたメーカーの名前と案件名が脳内で一瞬で合致してしまうあたしも大概だと思う。
最終の価格はまだ出ていないけれど、億超えの3件の案件のうちのひとつだった。
(御子柴も見習って欲しい)
「まさか工事の日程変わるの?他の2件と一日でもカブったらアウトだよ?監理責任者で空いてる人間がもういないもん」
世の中には色々と面倒な法律がたくさんあって、たとえ書類上だけでも色々と資格のある人間を用意しなくてはいけないのだ。
同日に別の場所で同じ人間の名前が存在するなんていう初歩的なミスを犯さないために、細心の注意を払うのが書類を作るあたしの仕事。
「わかってる。そこの辻褄は俺がなんとでもするから。変更出たのはその前段階。設計屋が弱音吐き始めやがった」
「マジで?いっそ他のところ使う?単価高い割りに精度低いってこの前も言ってなかった?」
「それも考えてるけど、今更他のところで図面引かせるのも面倒だからなぁ。次はないって脅してケツ叩くしかない」
とても1時間前まで身体を繋げていた二人の会話とは思えない。
缶ビール片手に膝を抱えて結城の隣に腰を沈めて、横から画面を覗き込む。
見覚えのあるエクセルのファイルは、数ヶ月前にあたしが残業して作ったものだった。
「あ、カノ。ここのセル、値の変更できないんだけどさー」
「え、なんで?――あぁ、入力規則だ。解除していいなら解除するけど」
「これって他のセルにも関連あるっけ?」
「あーたぶん大丈夫。関数使ってるのはココとココとだから…うん、やっぱり問題ない。セルの設定クリアにして直接入力してOKだよ」
「さすが、カノ」
「コレ、作ったのあたしだもん」
“いつもありがとうな”
脳天に感じる慣れた温みと、まだ慣れない至近距離でぶつかる視線。