女の隙間、男の作為
愛用の腕時計が示す時間は午前9時52分。
今週でははじめてのフレックス、といえば聞こえはいいけれど、つまりは今日が月曜の朝ということだ。
「…はよーございまぁす…」
テンションの低さは週の始めだからというより寝不足の所為だろう。
いつもと同じく紙パックの野菜ジュースのストローを咥えながら自分のデスクに腰を落とす。
パソコンの電源をオンにして目を瞑っていても打ち込めるログインパスワードを瞬時に指先で叩いたところで、背後からいつもと同じ声が聞こえてきた。
「相変わらずの重役出勤で」
“男の部屋にでも泊まった?”
その声につい振り向いてしまいそうになったのはそれが事実だからだろうか。
温くなりはじめた野菜ジュースをゆっくり飲み込んでから、
「おはよう、瑞帆ちゃん。どこから出勤しようとフレックスは当然の権利でしょう?」
綺麗な顔をしている親友に負けじと笑顔を返した。
内心では何処から出勤しているのかバレたらどうしようと怯えつつ、そんなはずはないと必死に言い聞かている。
でもそんな内側のドタバタを表に出さずにいられるほどの技くらいはどうやらあたしにも存在しているらしい。
「まぁいいけど」
それ以上の追究はない。
いつもの朝をいつも通り迎えられたのだとようやく安心できた。
ジャケットのポケットに手を突っ込んでそこにある金属片の感触を確かめながら隣のデスクのキャビネの一番上の引き出しを開けて、そこにある判子を取り出すフリを装いながらそのシルバーの金属片を仕舞った。
“鍵は会社で返してくれればいいから。カノなら上手く返せるだろ?”
まだベッドでまどろんでいたあたしを見下ろしながらあの男が笑っていたことを思い出す。
クローゼットの前でシャツを選び、煩わしそうにひとつずつボタンを嵌めていくその姿をベッドでぼんやりと眺めていたっけ。
ネクタイは…と手を伸ばす男を背後から観察しながら思わず余計なお世話をしてしまったのだ。
『違う。もう一個右のブルーグレイのストライプのヤツのがいい』
あたしの声に振り向いた男の顔はどこか満足気で。
その手にあたしが指定したネクタイを持ちながら、ゆっくりとベッドに近づいてきた。
『選んでくれたついでにカノが締めて』
朝っぱらから何がそんなに愉快なのかと問いたいくらいのその表情には多分に甘えが含まれている。
『ヤダ。めんどくさい』
“あたしは今から二度寝するんだもん”
もう一度布団をかぶろうとしたところで、布団よりも厄介なものに覆い被された。
『重いよ』
『ネクタイ締めてくれるか、慌しくもう一回するか、カノが選んで』
どちらの選択肢を選んだのかなんて言うまでもないだろう。