愛の花ひらり
 優子が静かにノックを三回すると、中から
『どうぞ』の声が聞こえてきた。
「失礼いたします」
 優子は中の返事に対してそう答えると、目の前の大きなドアのノブに手を掛けて、静かに開けていった――。

 扉を開いた優子はずんずんと前に進み出て行き、要はその速さに追い付こうと、彼女の後を必死に付いて行く。
 ドアからは小さく見えた社長の姿は近付くにつれどんどん巨大化していく。歩みを止めた優子の背後で要も足を止め、背筋をピンッと伸ばすと、社長の顔が目の前に現れた。
 確かに若い――恐らく三十前後の体格の良い男である。世の女性達がこの会社に入りたいと思うのも当然だろうとも感じた。
 氷室商事の社長は所謂『イケメン』であったのだ。
 そのイケメン社長は、優子の方など無視をして、ずっと要を見つめている。
「社長、こちらが今度秘書課に配属されました当麻要さんです」
 優子が掌を上にして要の方に差し出し、社長に紹介された要が深々とお辞儀をした。
「当麻要と申します。宜しくお願い致します」
 要の挨拶に対して、このイケメン社長からの返事の言葉がない。それも、要の挨拶など聞こえなかったかのように、優子にこの後のスケジュール調整などを行い始めたのだ。
 何、この男――社長なのに挨拶もできないの?
 優子とスケジュールの打ち合わせをしているのを黙って睨み付ける要。それがようやく終わったのか、その社長は優子に席を外すよう命令をし、彼女はそれに素直に従って部屋を出て行こうとした為、要は自分も優子に付いていかなければならないのかと思い、彼女の後ろを歩いて行こうとした瞬間、
「君は残って……」
 と言われ、要の前に進もうとしていた両足がピタッと動きを止めた。
「えっ……? わ、私一人が残るんですか?」
「そう、俺は小野峰には下がれと言ったが、君にはそれを言ってはいない」
 不安になった要が優子の方に振り向くと、彼女はドアを閉める前に、要にウインクをしてきた。
 あのウインクの意味は――?
 訳が分からない要の額から汗が滲み出てくる。
 今まであまり緊張のした事のない要にとって、今はとてもピンチの時であった。
< 18 / 41 >

この作品をシェア

pagetop