ルージュはキスのあとで



 なんと返事をしたらいいのかわらかず、目の前の正和くんをチラリと見た。

 すると、ゆっくりと立ち上がり私に近づくと、私に言うというよりは、電話先の長谷部さんに言うように大きな声で言う。



「俺、帰るから。長谷部さんに迎えにきてもらえよ」

「ちょ! 正和くん!?」



 マイクの部分を手で押さえて、すでに靴を履いて帰ろうとしている正和くんを引き止めた。

 が、背中を向けたまま手を振って店を出て行ってしまった。

 残されたのは呆然と立ち尽くし、なにがなんだかわけがわからない女一名。
 そして、その手の中にある携帯電話。

 そして通話中の相手。

 やっぱり長谷部さんには、私たちのやり取りが聞こえたらしい。

 おいっ! という大きな声が電話口から聞こえて、慌てて携帯を耳に押し当てた。



『真美。お前は今、どこいにいる?』

『……えっと』


 困って、声が上擦る。
 そんな私を落ち着かせるような、テノールの声が耳をくすぐった。


『お前に今すぐ会いたい。どこにいるのか言え』



 そんな命令口調の長谷部さんの声は、どこか熱っぽく、そして情熱的に聞こえた。
 その声に誘導されるかのように、出版社近くの小さな中華料理店です、と呟いた。

 電話を切ると、その場でボッーとしたまま携帯電話を握り締めていた私。
 何も考えられなかった。

 ただただ携帯をずっと握り締めて、ビールの泡が消えていくのを見つめるだけしかできなかった。

 それから数分後のできごとだった。
 店に飛び込んできた長谷部さんは、相変わらず威圧的で、それでいて冷たいオーラを纏っていた。

 だけど……いつもと違うとすぐにわかったのは目だった。
 どこか憂いを含んだ瞳。

 その瞳に捕らわれたのは……私だった。




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