金属バットを買って待つ(仮題)


社長の息子と言うと子供の頃から何不自由なく暮らして親父の会社に入って楽をすると言うのが世間一般のイメージだろうが、少なくとも俺は違った。




子供の頃は、小学生一年までは、両親と兄と暮らしたがその後は子供を預かってくれる施設や親戚、祖父母と転々とした。




何故かと言うとまだその頃は、トンネル工事となると家族寮のようなプレハブが建ち小学校に上がるまでは、そこで暮らしたのだが工事が終わるとまた違う家族寮に行くという幼少期だった為に何度も転校を繰り返した。




俺は、それについて全く気にならなかったが、親父は、まだその頃雇われの現場の所長くらいだったらしく会社と途中からゴタゴタし始めたらしかった。




それで家族寮に入れなくなったり色々な両親の事情があり俺と兄は、あちこち転々とするはめになった。




最後に預かってくれた祖父母の所は、良かったが、やはり子供だった為に寂しかった。




両親は、産まれたばかりの妹だけを連れて全国をあちこち仕事で周っていた。




両親は、両親なりに色々悩んだようだったしたまに、会うととても良くしてくれたがやはり、寂しかった。




家族全員で暮らすようになったのは、俺が高校に入ってからだった。




だが、両親には両親の事情があったはずだし俺は、寂しかったがそれをひどい親だなどとは、全く思わなかった。




俺は、高校を出ると直ぐに関西の工場に就職したが半年持たすに辞めフリーターのような事を一年ほど続けてたまたま知り合いからの誘いでトンネル工事の現場に作業員として入った。




自分自身まさか親父と同じ仕事をすると思ってなかったがトンネル工事の作業員は、俺に向いていた。




血だろうか?親父もトンネル屋だったし父方母方の祖父もトンネル屋だった。




それに、当時は、まだバブルの残りかすが残っており俺のような駆け出しの作業員でもかなりの給料が貰えた。




俺は、雑工から始めてトンネルを掘る方にだんだん行くようになった。




運も良かったし必死で働いた。


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