金属バットを買って待つ(仮題)
現場をこなして三つ目の頃は、手取りで給料が百万円を超える事も多かった。
トンネル工事の掘削つまり掘るほうに回ると請け負い単価になり最低給が一日二万円ほどで単純に言えば掘ったら掘っただけお金になった。
二十歳を少し過ぎたくらいでこの給料は魅力的だった。
俺は、必死に働いたし遊びも散々やった。
建設業界では、トンネル工事の作業員は収入が良い事は、有名だったが何せかなり特殊な環境だったのと危険が多く辞めて行く人間も沢山いた。
俺は、金の魅力と元々子供の頃にそういう特殊な環境に慣れていた為に辞めようなどとは、全く思わなかった。
それに、周りにとても良い人間達が俺に色々教えてくれ汚れ仕事も全く気にならなかった。
特に俺が、掘削班に入った頃の班長は俺を可愛いがってくれた。
四十代前半だっただろうが宮野と言う班長は、俺に時間があると機械の乗り方やダイナマイトの使い方を細かく教えてくれたし夜の街での飲み屋の楽しみも教えてくれた。
宮野は、夜の街に二人で飲みに行っても仕事の事で俺に説教を一切しなかった。
大抵の年上は、酒が入ると仕事の事で俺に、説教した。
一度宿舎で正座を二時間ほどさせられ三十代の男が焼酎を飲みながら俺に、延々仕事の事で説教した事があった。
次の日に相手が素面の時に、現場の休憩所の裏に呼び出して殴った。
九州出身の農業しながら出稼ぎでトンネルに来ていた実は、気が弱い男だった。
宮野は、全くそういう面が無く一緒に飲みに行けば女の子達に人気もあった。
話しの内容は、だいたいエロトークか自分自身が海外で仕事をした時の現地の話しを面白おかしく話した。
ただ酔ってない時に、何度か注意されたのがお前は、気が短いから気を付けろとよく言われた。
宮野は、周りに聞くと若い時には、気性が激しく刑務所に入った事もあると言う話しだった。
宮野は、どこかで自分自身と僕を重ねていたようだ。
宮野とは、その後も仕事を一緒にしたし宮野が行く現場に僕を誘ってくれた。
宮野との付き合いは、その後俺が親父の会社に入っても続いた。