才能のない作曲家
「パリになんか、行かないで、よ…」
「・・・」
「私を、置いて行かないで…、一人にしないで…っ」
「ごめん」
別れる、と・・・
離れて、と言ったその口で、僕を引き止める。
僕が頷けないことを知っていて。
僕が、君の守ろうとしているものを守りたいと知っていて。
「行かないで・・・、お願い・・・」
「、…愛してるよ」
「い、や…、離れたくない・・・好き、なのに――…」
「愛してるから」
「聖吾…、お願い、全部捨てて…、お願い、だから…」
僕の名前を呼びながら、全てを捨ててほしいと訴える彼女を、
僕は一瞬、
殺してしまいたくなった。
一瞬だけ、全てを捨ててしまいたいと思った。
彼女の地位も、仕事も、立場も、全てを捨てさせて、
自分と一緒に生きて欲しいと…
ただ小さな幸せを、二人で築いて行こうと…
そう言ってしまいそうになった。
けれど、
僕が何か伝えようとしたとき、
彼女の瞳は恐怖に怯えてた。
僕はすぐに自分の役割を理解した。
僕は、悲劇の男を気取ってはいけないのだと。
僕が彼女を捨てなければならないのだと。
そうしなければ、彼女は壊れてしまうのだと。