生きる。
入院生活。
約一ヶ月間の入院が決まった。
私が起きた時いたのは、「保護室」だった模様。
保護室というのは、外から鍵をかけられてしまう部屋。
何も持ち込んでは行けなくて、トイレも自分で流せない。
そんな地獄の様な部屋。
時には「出して」泣き叫んだ。
そんな部屋からも、一週間で出られた。
一度着替えやらを取りに帰った。
もちろんカッターも。
持ち物検査の緩い病院でした。
その時は「毎日主治医に会えるからラッキー」程度に想ってた。
でも初めての入院生活、色々苦労もあった。
まず、普通の病院ではないので、自分で何でもしなくてはいけない。
ロビーまで行って薬を飲む、検温をする、また薬を飲む。
食堂に行ってご飯を食べる、午後は作業療法。
ビーズアクセサリーや栞を作ったり。
それはそれで楽しかった。
仲の良い友達も出来た。今は何をしているか解らないけれど。
一人は結婚したと聞いた。おめでたい事だ。
毎日友達と話した。
ご飯も一緒に食べて、夜も一緒にいて。
とても楽しかった。けれど入院してから二週間、私は退院したい気持ちになっていた。
週に1、2回主治医との話し合いがあった。
「退院したい」と話した。
「まだ不安だ」と言われた。
それでも退院が決まった。
私の初めての入院生活は、三週間で幕を閉じた。
私が起きた時いたのは、「保護室」だった模様。
保護室というのは、外から鍵をかけられてしまう部屋。
何も持ち込んでは行けなくて、トイレも自分で流せない。
そんな地獄の様な部屋。
時には「出して」泣き叫んだ。
そんな部屋からも、一週間で出られた。
一度着替えやらを取りに帰った。
もちろんカッターも。
持ち物検査の緩い病院でした。
その時は「毎日主治医に会えるからラッキー」程度に想ってた。
でも初めての入院生活、色々苦労もあった。
まず、普通の病院ではないので、自分で何でもしなくてはいけない。
ロビーまで行って薬を飲む、検温をする、また薬を飲む。
食堂に行ってご飯を食べる、午後は作業療法。
ビーズアクセサリーや栞を作ったり。
それはそれで楽しかった。
仲の良い友達も出来た。今は何をしているか解らないけれど。
一人は結婚したと聞いた。おめでたい事だ。
毎日友達と話した。
ご飯も一緒に食べて、夜も一緒にいて。
とても楽しかった。けれど入院してから二週間、私は退院したい気持ちになっていた。
週に1、2回主治医との話し合いがあった。
「退院したい」と話した。
「まだ不安だ」と言われた。
それでも退院が決まった。
私の初めての入院生活は、三週間で幕を閉じた。