伊坂商事株式会社~社内恋愛録~
山辺は美紀に目を向けた。



「今晩、うちで待ってなよ。なるべく早く終わらせて帰るから。一緒に飲まない?」

「あ、ごめーん。今晩は無理。おじさんを病院に連れていきたいから」


美紀の言う『おじさん』とは、親戚の類ではなく、美紀の飼い猫の名前だ。

一ヶ月ほど前、美紀が近所の公園で拾ったとかで、「鳴き声がしわがれてるからおじさんっぽい」という、命名の由来らしい。



「おじさん、病気にでもなった?」

「わかんないから病院に連れていくの。昨日から食欲なくて心配で」

「大丈夫なの?」

「だから、わかんないから病院に連れていくんだって言ってるじゃない。ほんと、何聞いてんのよ、山辺さん」


山辺は困ったように笑った。


美紀は自由奔放で、いつも山辺が思う答えとは別の言葉が返ってくる。

すでに尻に敷かれているなと、その度に山辺は思ってしまう。



「じゃあ、おじさんの病院が終わったら、電話してよ。俺そっちに行くから」

「山辺さんもおじさんのこと心配?」

「そりゃあ、まぁ」

「何か意外だよね。山辺さんって動物苦手っぽい感じなのに、実は猫好きなんて」


きみが好きだからだよ。

山辺は内心で美紀に告げるに留めた。


美紀は腕時計を一瞥し、



「よしっ、帰るとしよう」


缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れる。



「度が過ぎたワーカーホリックは嫌われちゃうよ。おじさんにも、私にも、ね」


美紀はにこやかに「じゃあね」と言い、休憩スペースを出た。

何だかなぁ、と、思いながら山辺は、苦笑いのままに肩をすくめる。


相変わらず、飽きさせない子だなと山辺は思った。

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