伊坂商事株式会社~社内恋愛録~
すっかり夜の帳が降り、企画課フロアには山辺だけとなってしまった。
山辺はパソコンのワード画面を保存し、息を吐いて宙をあおいだ。
入社して、右も左もわからないままこの企画課に放り込まれて以来、自分の持てるすべてを企画畑で、会社のためにと尽力してきたことを思う。
山辺は携帯を取り出した。
ディスプレイに表示させた、大学の先輩であり、今はライバル企業にいる佐々木にコールする。
「もしもし、山辺です。この前の引き抜きの件、じっくり検討したんですが、やっぱり俺はこの会社に残ろうと思います」
電話口で、相手は「どうして?」と怪訝そうな声を出したが、
「先輩が提示してくれた仕事内容にも待遇にも興味を引かれましたが、俺はこの会社が好きなんです。それ以上のものがあるんです」
「だから本当にすいません」と言い、山辺は電話を切った。
後悔はなく、むしろ晴れ晴れした気分だった。
ここで友やライバル、愛する者に囲まれて働ける幸せを、この上なく山辺は思う。
パソコンを終了させ、荷物を手にする。
フロアの電気を消し、誰にともなく「お疲れ様」と呟いた。
今日が終わってもまた、新しい明日が来る。
日々は繰り返していると思わせておいて、着実に進んでいく。
山辺はここで過ごした10年を思い、そしてこれから来(きた)る10年を想像し、会社を出た。
夜空には、人々を照らすような満月がぽっかりと浮かんでいた。
END