伊坂商事株式会社~社内恋愛録~
「母の電話の内容はいつも同じ。『次はいつ帰ってくるの?』、『恋人はできた?』、『お母さんはあなたを心配してるのよ』」

「で、あんたは?」

「『忙しいの』、『そのうち帰るわ』、『恋人なんていない』」


肩をすくめて言った。

だけども私の答えに、沖野くんは少しむすっとした顔になる。



「俺は未だに、あんたの中ではただの上司と部下でしかないわけだ」

「違うの。そうじゃない」

「じゃあ、どうして」

「沖野くんを母に紹介したら、きっと開口一番に『いつ結婚するの?』と言うに決まってる」


沖野くんは考えるように僅かに視線を彷徨わせた後、「それは厄介だ」とだけ言った。



「母は必ず沖野くんに聞くはずよ。『出身大学は?』、『年収は?』、『今の地位は?』」

「あぁ、なるほど。すべてにおいてあんたより劣ってる俺なんて、と」


沖野くんは自嘲気味に言う。

そういう顔をさせてしまうのがわかっていたから、言いたくなかったのに。



「私は、そんなことでしか人を判断できない母が嫌いなの」


小さな頃から、私は母に厳しく育てられた。

塾に、おけいこにと、母の言いつけ通りに努力し、励み続けた。


だから、今の会社に入れたことは、私以上に母の方が喜んだに違いない。


でも、母の思い描く絵図の中の私は、きっと、同じ会社の将来有望な人を射とめ、結婚し、家庭に入り、今頃は子宝にも恵まれていた頃だっただろう。

なのに、私を頑張らせ続けた結果、仕事ばかりの人間になってしまい、未来が狂った母は焦っている。



「そりゃあ、私だって、何も結婚願望がないわけじゃないわよ。だけど、今は仕事の方が大事だし。大体、30で焦る話じゃないでしょ?」

「まぁ、そうですね」


相変わらず、あまり自分の意見を言おうとしない、沖野くん。

だから私はいつも不安になってしまう。



「沖野くんはどう思ってるの?」

「俺は別にどっちでも。あんたがしたくないと思うなら、それでいいんじゃないですか」
< 54 / 124 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop