グリーンカード、ください
2011年6月、息子はウィスコンシン州の幼稚園を卒園しました。
担任の先生から、会話もできるようになって、
クラスでも積極的に活動するようになったことを
評価していただきました。
グリーンカードをもらって、
ウィスコンシン州に行った時は
卒園したら日本に帰国して
東京生活を再開する予定でしたが、
人生というものはどう転ぶか先が見えないもので、
私たちは日本に帰らず、
なんと今度はカリフォルニア州に転居することになりました。
ダンナさんがクリスマス帰郷をした後、
転職をしたのです。
東京の会社からロサンゼルスにある会社に。
エンジニアというのは、転職しながら昇格していくのですね。
いや、日本で働く外国人エンジニアは
そうでもしないと昇進をすることができない。
いわゆる「ガラスの壁」です。
日本人はその壁を通れますが、
外国人は上が見えてもガラスの壁に阻まれます。
というわけで、私たちの日本での家族生活は、
このようにしていったん節目を迎えました。
現在もロサンゼルスで生活を続けています。
ウィスコンシン州とは全く違う環境で、
未だ戸惑うことも多いです。
その戸惑いは、新たな発見のドアを開けてくれます。
担任の先生から、会話もできるようになって、
クラスでも積極的に活動するようになったことを
評価していただきました。
グリーンカードをもらって、
ウィスコンシン州に行った時は
卒園したら日本に帰国して
東京生活を再開する予定でしたが、
人生というものはどう転ぶか先が見えないもので、
私たちは日本に帰らず、
なんと今度はカリフォルニア州に転居することになりました。
ダンナさんがクリスマス帰郷をした後、
転職をしたのです。
東京の会社からロサンゼルスにある会社に。
エンジニアというのは、転職しながら昇格していくのですね。
いや、日本で働く外国人エンジニアは
そうでもしないと昇進をすることができない。
いわゆる「ガラスの壁」です。
日本人はその壁を通れますが、
外国人は上が見えてもガラスの壁に阻まれます。
というわけで、私たちの日本での家族生活は、
このようにしていったん節目を迎えました。
現在もロサンゼルスで生活を続けています。
ウィスコンシン州とは全く違う環境で、
未だ戸惑うことも多いです。
その戸惑いは、新たな発見のドアを開けてくれます。