白き薬師とエレーナの剣
「バルディグまで道は長い。その間に弱ってもらっては困るからな……食事は朝と晩、必ず与える。大人しく従っていれば、監視付きだが休憩の際にはここから出してやろう」

「……分かりました、大人しく従います」

 顔から血の気が引いていくのを感じながらも、いずみはキリルの視線から逃げずに臨む。

 もし睡眠薬や痺れ薬を使ったとしても、『守り葉』の毒に耐えられる術を持つ彼らには効かない。自分が逃げる隙なんて、まず作れない。
 けれど、せめて水月を逃がすための隙を作りたい。そのために今はできる限り従順にしなければ……。

 ガタン、と馬車が地面の石に大きくつまずき、飛び跳ねる。
 ようやくキリルはいずみから視線を外し、踵を返した。

「しばらくは山道を行く事になる。舌を噛みたくなかったら、大人しくしていろ」

 そう言い残し、キリルは音を立てずに荷台の外へと出ていく。
 彼の姿を見ているのに気配をまったく感じさせず、まるでスゥッと消える幽霊のようだった。

 しばらくいずみと水月は、キリルが消えた先を見つめ続ける。
 と、どちらともなく息をつき、二人して崩れるように座り込んだ。

「アイツ、本当に人間なのか? 目が怖ぇよ、目が」

 砕けた口調だが、水月の声は震えている。強がっているのは明らかだった。
 いずみ水月の隣へ座り直すと、優しく彼の手を握った。

「ごめんなさい、すぐに貴方をここから逃せなくて。でも――」

 話の途中で水月が小首を振り、唇の前で人差し指を立てる。

「いずみ、ちょっと手の平を出してくれ」

 言われるままにいずみが手の平を見せると、水月はその上に指で文字を書いた。

『どこでヤツらが聞いているか分からねぇ。だから、聞かれたらヤバいことは、これで伝えてくれ』

 ハッと息を呑み、いずみは小さく頷く。そして握っていた水月の手を胸元まで持ち上げ、手の平を開かせてから、話の続きを綴った。

『いつになるか分からないけれど、どうにか水月が逃げる隙を私が作るわ。その時が来たら、みんなの分まで生き延びて欲しい』

 水月を逃がすことができれば、後は自分の力を悪用されぬよう、命を絶つだけ。
 欲を言えば、彼が目の前からいなくなる時までに、ひと目みなもに会えれば良いけれど。

 もう己を捨てる覚悟は出来ている。
 いずみが心の奥へ重い決意を沈めていると、水月は静かに首を横に振った。
< 14 / 109 >

この作品をシェア

pagetop