白き薬師とエレーナの剣
「チッ……アンタの用事は、オレを庇うことだけか? もう用がないなら部屋に戻らせてもらうぜ」

 水月が背を向けて歩き出そうとした時、「待て」とキリルが呼び止めた。

「お前のこれまでの報賞金は、すべて用意してある。欲しくなったらいつでも言え」

 一瞬、水月の体が硬直する。
 弾かれたように頭を上げ、部屋の扉が閉じているのを確かめてから、キリルを振り返った。

「テメェ、何考えてんだよ! 万が一いずみに聞かれでもしたら――」

「もし娘が会話を聞き取れる所まで近づけば、すぐに気配で分かる。安心しろ、あの娘の気配は感じられない」

 激しく動揺するこちらとは裏腹に、キリルの海が凪ぐような平静さは微塵も揺らがない。
 訓練を受けていない小娘の気配など読めて当然、という自負が見え隠れした。

 キリルの一つ一つの言葉が、動作が、無性に腹立たしくなる。
 そして、更に熱くなった怒りが己に向けられる。

 自分に言う資格はないと分かっていても、言わずにはいられなかった。

「……金なんかいらねぇよ。褒美をくれるっていうなら、アンタらが殺したオレの家族を、『久遠の花』と『守り葉』を生き返らせろよ!」

 口にした途端、周囲への用心も、有利に事を進めるための計算も、すべて吹っ飛んだ。
 溢れ出す感情のおもむくまま、水月はきつくキリルを睨みつけ、言葉を続ける。

「オレたちはな、誰も死なせないためにアンタらの言うことを聞いていたんだ。金なんかより命が欲しかったんだよ。……だから、命を返せ」

 脳裏に今までのことが、暴れ狂う川のような勢いで流れていく。



 キリルたちと出会ったのは、四年ほど前になる。

 最初は、宿にいる仲間が倒れたから、すぐに薬が欲しいと言って近づいてきた。
 宿に行くと、今にも死にそうな病人がいて、薬だけ置いて去るのは忍びないからと、両親が懸命に看護していた。

 だが、持ち直した途端、彼らはその病人を斬り殺し、「命が惜しければ協力しろ」と血まみれの剣を突きつけてきた。
 自分たちの商隊が『久遠の花』の薬を扱っていることを調べ上げ、捕らえるために罠を張ったのだ。

 キリルたちはこう約束してくれた。
 不老不死を叶える一族を、殺すようなことはしない。
 少しでもおかしな真似をしたら殺すが、従順に動けば命は保障する。莫大な褒美も付けると――。

 先祖代々から世話になっている『久遠の花』の一族を、裏切りたくはなかった。
 けれど、彼らは殺されることはない。だから素直に言うことを聞き、隙をついて『守り葉』が毒を使えば、解決できるだろうと思っていた。

 絶対に死にたくない。
 だから知恵を働かせ、必死に情報を集め、キリルたちに報告をしていた。
 子供だったためか、一族の大人たちは油断して色々なことを教えてくれた。恐らく商隊の中で一番情報を手に入れたのは自分だろう。

 手伝うフリをして、薬や毒の在り処を確かめたことも、護身術を教えて欲しいと『守り葉』に請うて、彼らの戦い方を聞き出したこともある。
 嘘を教えれば良かったのかもしれないが、キリルたちは人の嘘をよく見抜き、嘘をついた者を容赦なく傷つけた。結果を出さなくても殴られた。
 それが怖くて、ずっとキリルたちの言うことを逆らわずに動き続けていた。

 そして、キリルたちが里へ攻め込んできたあの日。
 あらかじめ盗んでおいた特殊な『守り葉』の毒を中和する薬のおかげで、キリルたちは『守り葉』を力でねじ伏せることができた。

 当初は商隊を人質にして、他の『守り葉』や『久遠の花』を牽制するはずだった。

 しかし、『守り葉』は人質を犠牲にしてでも戦おうとし、『久遠の花』は逃げきれないと悟って自害した。
 役に立たないと分かった途端、商隊は順番にキリルたちに斬り捨てられた。

 誰も死なせないはずだったのに、いつの間にか生きているのは自分だけ。

 逃がさぬように腕を掴み続けていたキリルが手を離した時、腰が抜けて座り込んでしまった。

 このままだと殺される。まだ死にたくない。
 みんなを死に追いやった人間に、そんなことを望むのは許されないと思っていても。
 
 キリルの剣が振り下ろされそうになった瞬間。

「殺さないで! 彼を殺すなら、私も死にます!」

 いずみの声が、額に突き刺さる寸前で剣を止めてくれた。

 助かったという安堵と、消えてなくなってしまいたいほどの後悔が、町一つを呑み込む大津波のように襲ってくる。
 かろうじて残る正気を流されてしまわないよう、何も知らない彼女にしがみつくことしかできなかった。

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