白き薬師とエレーナの剣
 いずみは微笑みかけながら水月の腕を持ち上げ、慣れた手つきで治療していく。

 ふと水月の手の平がいずみの視界に入り、笑みが消える。
 手まめだらけで、所々が潰れて赤くただれた手の平。すり傷よりも、むしろこちらのほうが酷い状態だ。

 こんな手で毎日剣を握り、水月は一日も休まずにキリルの訓練を受け続けている。
 かなりの苦痛を感じているはずなのに、彼の口から弱音は一切出てこなかった。

 もうやめて欲しい、と言ってしまいたかった。
 けれど、これが二人で生き続けるために必要なこと。苦しいからといって、逃げることはできない。

 止められない代わりに、せめて水月の痛みを自分に移すことができるといいのに。
 そう考えながら、いずみは水月の手の平に薬を塗り込んでいった。

 治療を終えていずみが手を離すと、水月はニッと歯を見せて笑った。

「前よりも体が動くようになってるんだ、もう少し続ければケガも少なくなる。だから、そんな心配そうな顔するなよ」

 これ以上水月に気を遣わせてはいけないと自分に言い聞かせ、いずみは「ええ」と頷いて笑い返す。

 スッと水月の目が細くなり、眩しそうにいずみの顔を見つめる。

「オレのほうは問題ない。それより、エレーナは大丈夫なのか? 毎日あの狂王と顔を合わせなきゃいけないなんて、ほぼ拷問じゃねーか」

 確かにジェラルドを診なくてはいけない夕時が、一日の中でもっとも気分が重くなる。
 真っ当な思考を持たない狂人。いつ牙をむくか分からない、飢えた猛獣を相手にしているようなものだ。

 未だに王の近くに立つだけで、怖くて足はすくみ、手は震えてしまう。
 きっとこの恐怖感がなくなる日は来ない。我慢して慣れていくしかないのだと割り切っていた。

 本当は辛い。けれど弱音を吐いた分だけ、水月を心配させてしまう。
 口から出そうになった本音を呑み込み、いずみは小さく首を横に振ってみせた。

「私は大丈夫よ。陛下のお体に異変があるのは事実……病に苦しんでいるなら、どんな人でも助けることが『久遠の花』の役目だから」

 水月は「そうか」と瞼を閉じて長息を吐くと、背伸びをしながら腰を上げた。

「苦しくなったらいつでも言ってくれよ。愚痴の聞き役ぐらいしかできねぇけど、思っていることため込んで、心が潰れるよりはマシだと思うぜ」

「うん、ありがとう。ナウムも辛くなったら、いつでも言ってね」

 いずみは真っ直ぐに水月の目を見つめ、柔らかく微笑む。
 と、急に水月がよそよそしく目を逸らし、雑に首を掻いた。

「あ、ありがとな。……さて、と。そろそろ行くとするか。早く手伝いに行かねぇと怒られちまう」

 朝の訓練が終わった後、いつも水月は城の台所を手伝ったり、薬師たちのお使いで外へ材料を調達したりなどの雑用をこなしている。
 トトいわく、素早い仕事ぶりと愛想の良さが評判で、よく人から「こんな働き者の孫がいて良かったな」と言われるらしい。

 元気そうに振る舞っているが、水月の体は疲労と痛みで悲鳴を上げ続けている。
 寝る前に薬を処方して、強引に体の回復を測っているおかげで倒れはしないが、負担を重ねているのは確かだった。

「じゃあな、エレーナ」

 くるりと水月が背を向け、扉のほうへと歩き始めた。

「……無理しないでね、ナウム」

 いずみが呼びかけると、水月は振り向かずに手を振りながら、温室を出て行く。

 その背中が見えなくなった後も、しばらくいずみは視線を動かさずに見つめ続けた。
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