白き薬師とエレーナの剣
 みなもと離れてから、いずみは元来た道を迂回しながら隠れ里へ向かう。

 すぐに捕まっては意味がない。
 ギリギリまで追手をこちらに引きつけ、みなもから遠ざけなければ……。
 いずみは注意深く辺りを見ながら、容易に見つからないよう頭を低くして進んでいった。

 次第に森から木が少なくなり、隠れ里が近いことを知らせてくる。
 痛いほど鼓動が弾み、容赦なく胸を強打してくる。

 大きく深呼吸して動悸を和らげると、いずみは腰に差していた短刀を抜いた。

(これでいつでも死ねる……お父さん、お母さん、私に力を貸して下さい)

 祈るように両手を組んでから、いずみは隠れ里の入り口へ近づいた。

 前方から男たちの声が聞こえてくる。
 鋭い声で「絶対に逃すな!」「『久遠の花』を生け捕りにするんだ!」という言葉が交わされていた。

 ビクリ、といずみは肩をすくめる。
 しかし怖気づく自分を奮い立たせるように小首を振ると、隠れ里の東側へ周り、飛び出るようにして森を抜けた。

 すぐに二人の兵士が気づき、こちらに向かって走り出す。
 それを確認してから、いずみは踵を返して再び森の中へ戻った。

 物心ついた頃からよく遊び、多くの恵みを手に入れてきた森。
 相手を倒す力はなくとも、地の利を活かして逃げることはできる。
 少しでもみなもを追手から離すことができればそれで良かった。

 木々の間を縫うように駆けながら、いずみは隠れ里の南側へと向かっていく。
 途中、新たな追手がこちらに気づき、「こっちに居たぞ!」と仲間を呼ぶ声がした。

 草や落穂を踏みつける音や、木々の枝を乱暴に退かす音が大きくなり、数も増えていく。
 もっと早く走らねばと思うのに、息は切れ、足の動きは鈍くなるばかり。
 苦しくて、苦しくて、顔が下へ向いてしまう。

 いずみは走りながら短刀の柄をギュッと握り、己の首へと近づけた。

(私の足じゃあ、これ以上は走れない……もう、限界ね)

 いつでも死ぬ覚悟は出来ている。
 あと少し追手を引きつけてから、この首筋を切り裂こう。

 最後の力を振り絞って、いずみはできる限り足を速める。
 早くなったのは、ほんの一瞬だけ。
 次の瞬間、足が鉄の塊のように重くなり、膝や大腿に痛みが走った。

 これ以上あがくことはできない。
 いずみは頭を上げ、首に刃を当てようとした。
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