白き薬師とエレーナの剣
 水月の話が終わり、この場にいる全員の動きが固まり、温室から音が消える。

 自分のやっていることがイヴァンにとって目障りだとしても、そうしなければ生きていられない。大切な妹との再会も叶わなくなる。
 けれど、イヴァンから憎まれ続けることを考えると、胸が痛くて、この場から消えたくなってしまう。

 目頭が熱くなり、いずみの瞳が潤みそうになる。
 涙を流せば取り乱してしまうそうな気がして、唇をギュッと噛み締めて堪えていると、

「……だったら俺はどんな手を使ってでも、お前たちを必ずここから逃してやる」

 ため息混じりにイヴァンは呟き、罰が悪そうに頭を掻いた。

「そういう事情があるかもしれんと予想はしていたが……案の定か。辛い思いをしてきたな、エレーナ」

 イヴァンの声が、いつもの温かみのある声に戻っている。
 自分たちの嘘かもしれないのに、あっさりと受け入れられたことが信じられなくて、いずみはイヴァンを凝視する。

「あ、あの……私たちの話を信じて頂けるのですか?」

 顔色を伺いながら尋ねるいずみへ、イヴァンは大きく頷いた。

「気づいていたか? 家族のことや過去を語る時、いつも悲しげに、すべてを諦めたような表情を見せていたことを……どれだけ言葉を並べても、普段の何気ない仕草のほうが真実を物語ってくれるものだからな」

 ふといずみの脳裏に、水月がイヴァンと初めて対面した言葉が浮かぶ。

『あの人、まったく隙がなかったぞ。気さくそうに振舞っていても、厳しい目でオレたちを見ていやがった』

 裏を返せば、ちょっとしたことも見逃さないように気を配っていたということ。
 やはり厳しくても優しい人なのだと分かって、いずみの頬が安堵で緩んだ。

「ありがとうございます、イヴァン様。でも――」

「……駄目だ。アンタらにオレたちの命は預けられねぇ」

 いずみの話を、水月が腹から絞り出したような声で遮る。
 緩くなりかけた空気が一気に張り詰め、イヴァンの顔が険しくなった。

「お前たちだけで逃亡を試みるよりも、俺の庇護を利用したほうが明らかに逃げ切れる可能性は高いと思うが?」

 クッ、と水月の喉からくぐもった笑い声が漏れた。

「可能性? どっちも皆無じゃねーか。だってなあ……」

 水月が息をつきながら肩をすくめる。と――。

 ――ガッ! 唐突に水月がルカの足を払い、体をよろめかせる。
 その隙にルカの手から両腕を引き離し、素早く腰の短剣を抜く。

「な……っ?!」

 咄嗟にルカは体勢を直して剣を抜きかける。
 だが、彼が抜くよりも早く水月が、切っ先をルカの顎に突きつけていた。

(す、水月?! どうして……)

 次々と変わる状況に頭がついていけず、いずみは目を丸くして水月を見続ける。

 が、何度か瞬きしてから、イヴァンの動きがないことに気づく。
 こんなことをされて傍観できるような人ではないのに。

 ぎこちない動きで視線を移すと、イヴァンは剣の柄に手をかけながらも、鞘から刃を出そうとはしていなかった。

 そして、いつの間にかイヴァンの背後にキリルの顔があった。
 いつも通りに感情を一切消した無表情で、イヴァンの背に鋭い切っ先を突きつけていた。

 フゥ、と水月がわざと聞こえるようにため息を吐き出した。
 
「オレの反撃を許した上に、キリルに背後を取られているクセに、どうやってオレたちを逃がすって言うんだ?」
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