白き薬師とエレーナの剣
 いずみの足元から背筋へ、虫が這うような寒気が上っていく。
 自分に刃が向けられている訳ではないのに、イヴァンを通してこちらへ殺気が向けられているような気がした。

 しかし、命の危機に晒されているのに、イヴァンの口元が笑っていた。

「キリル……俺に剣を向けるとはいい度胸だ。国の行く末よりも、王位を継ぐ俺の命よりも、そんなに親父の不老不死が大切なのか?」

 イヴァンの静かな怒気混じりの声に、キリルは微塵の動揺も見せなかった。

「陛下のお心に沿うことが我が使命……その邪魔をするというなら、王子であろうが神であろうが例外なく始末する」

 脅しではなく、キリルなら言葉通りのことを容赦なく実行する。
 隠れ里での惨劇が脳裏によみがえり、いずみの歯が小刻みに震える。

 このままではイヴァンやルカが殺されてしまう。
 もし彼らが勝つとしても、キリルだけでなく、刃を向けた水月も殺されてしまうかもしれない。

 互いの出方を伺い、誰もが押し黙る。
 沈黙が続くほどに場の空気は張り詰め、今にも弾けて彼らの剣を動かしてしまいそうだった。

 何か言わなければ。
 剣を交えず、誰一人傷つかない道は――。

(――あっ)

 いずみはハッと息を引く。
 水月と話し合わずに、これを伝えるのは勇気がいることだ。

 言ったところで取り合ってくれないかもしれない。自分たちの命を危険に晒すことになるかもしれない。
 絶対に大丈夫だという自信など微塵もない。けれど、今ここで言わなければ、惨劇を止められない気がした。

「あの、キリルさん! 今温室にいるのは私たちだけですか?」

 いずみの唐突な声に、男たちが一斉に振り向く。
 口を開くと思っていなかったのか、水月もイヴァンたちも驚きの色を隠していない。
 だが、キリルだけは表情を変えず、凍てついた瞳だけをこちらに向ける。

「娘、それは今知る必要があるのか?」

 いずみは怖気づきそうになる心を押し殺し、目に力を込めてキリルと視線を合わせた。

「はい。ここにいる人以外には聞かせられない、大切なお話があります」

 こちらの意図を探るように、キリルが視線を投げかけ続ける。
 しばらくして、小さく唸ってから「そうか」と呟いた。

「今この場にいるのは、ここにいる五人だけだ。外にも数名いるが、大声を出さなければ聞かれる心配はない」

 こう言いながらも、もしかしたら部下を忍ばせているかもしれない。
 ただ、安易に信用できない相手であったとしても、今は信じるしかなかった。

 いずみは「分かりました」とキリルに返事をしてから、水月に目配せする。
 どうやら何を言おうとしているのか察しがついたらしく、水月は神妙な面持ちで小さく頷いてくれた。

 大きく息をついて覚悟を決めると、いずみはイヴァンへ一歩近づき、真っ直ぐに彼の目を見据えた。
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