白き薬師とエレーナの剣
 調合した薬を渡し、ジェラルドが飲んだことを確かめてから、いずみは薬箱を片付け始める。

 と、唐突に背後から「陛下」と呼ぶキリルの声がした。
 いずみが振り返ると、近くに控えていたトトの隣で跪き、頭を垂れるキリルの姿があった。

 不意打ちにキリルが現れるのは、もう日常化している。
 横目で様子を伺いながらも、いずみは落ち着いて片付けを続ける。

「顔を上げよ、キリル。どうしたのだ?」

 言われるままにキリルは顔を上げると、ジェラルドを見上げた。

「今しがた密偵から、西側の国境付近にいる貴族たちの中で、不穏な動きがあると報告を受けました。詳細はまだ掴めておりませぬが、近い内に洗い出し――」

「洗い出すなど時間の無駄だ。疑わしきは一族ごと斬り捨てろ。判断はお前たちに任せる」

 無機質で氷よりも冷ややかなジェラルドの低い声に、いずみは体を強ばらせる。

 自分とやり取りする時は態度も柔らかく、時折穏やかに笑うこともある。
 しかし、それは治療を施す自分に対してのみ。他の者には相変わらず冷酷で、相手への慈悲は微塵もない。女子供であろうが容赦しない。

 まだジェラルドの中で、他者の命は軽いままだ。
 心なしか残虐性は弱まっているような気はするが、それでも狂気の沼から抜け出せてはいない。

 人間味を感じさせるのは、自分と直接やり取りをするこの時だけ。
 いずみはわずかに俯き、下唇を噛む。

(もし私が、無闇に人の命を奪わないで欲しいと陛下にお願いすれば、聞き入れてくれるかもしれない。でも……)

 何度もジェラルドに伝えたくて、喉元から言葉が出かかっていた。
 けれど、言いかけると決まってキリルが背後から殺気を放ち、後から「余計なことは言うな」と重圧をかけられてしまう。
 おそらく言ってしまえば、こちらには手を出さないが、その分水月かトトに罰が与えられるだろう。

 水月からも「一日でも早く治療を終わらせた方が、大勢を助けることができる。だから余計なことは言っちゃ駄目だぞ」と言われている。
 およそ納得できるものではなかったが、無力な自分は受け入れざるを得なかった。

 こちらの思いを他所に、ジェラルドとキリルの非情な言葉のやり取りが続く。
 それを耳に入れながら、いずみは泣かないように歯を食いしばり、道具を片付けていく。

 希望の光は見えていても、未だ小さな星一つほどの光。
 バルディグに広がってしまった沈鬱な闇を照らすには、あまりにも頼りなく、今にも呑み込まれて消えてしまいそうだった。
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