白き薬師とエレーナの剣
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ひと通りの訓練と仕事を夕刻前に終わらせた水月は、急ぎ足で兵舎へと向かう。
中へ入って顔見知りの兵士たちに「よっ」と手を上げ、簡単に挨拶をすると、二階への階段を上った。
そして廊下を渡り、兵舎の中央に位置する部屋の前で足を止めると、コンコンと軽く扉を叩いた。
「待っていたぞ、ナウム。早く入れ」
部屋の中から聞こえてきたイヴァンの威圧感が滲む声に、水月は眉間に皺を寄せる。
(いくら必要があるとはいえ、王子様の相手をするのは面倒臭ぇな……あー、考えるだけでも肩がこってくるな)
軽く肩を回して気持ちを切り替えると、水月は「失礼します」と扉を開けて体を潜らせる。
真っ先に視界へ入ってくるのは、正面を臨む窓。日は落ちたがまだ外は明るい。
窓の前にはチュリックの盤と駒が置かれた脚の短いテーブルと、それを挟んで向かい合う椅子が二脚。
その内の一脚に腰掛けていたイヴァンが、瞳を流してこちらを見ると、不敵な笑みを浮かべた。
「今日は口うるさいお目付け役はいないから、かしこまらずに話せ。敬語は絶対に使うなよ」
……ああ、今日は一段と面倒臭ぇな。
危うく思ったことが顔へ出そうになり、水月は笑って誤魔化す。
普段はルカもこの場にいるのだが、たまに別の用事で席を外すことがある。
そんな日はイヴァンと二人きりでチュリックをしながら、敬語抜きの報告を強要される。
どうしてそんな必要があるのかと尋ねたら、「敬語が煩わしいから」と返ってきた。
だが本当は少しでもこちらの本音を、敬語という言葉で隠させまいとすることが真の狙いなのだろう。
ルカがいれば阻止してくれるのだが……。
この場にいないルカを恨みながら、水月は「了解」と肩をすくめてイヴァンの前に座る。
それからおもむろに、胸元から銀貨を一枚取り出した。
「じゃあ、今日はどっちが先行になるか――」
水月が親指で銀貨を弾こうとした瞬間、イヴァンは黒い駒を手にする。
「先行はお前に譲る。少し試してみたい手があるからな」
チュリックは先行が有利になるゲーム。それを譲るということは――。
水月は小さくクッと笑いを零した。
「今まで一度もオレに勝てねぇのに、随分と大きく出たな。どんな手なのかじっくり堪能させてもらうぜ」
白い駒を摘み、盤面をじっくり眺めてから駒を置く。
水月が駒から指を離した直後、イヴァンが腕を伸ばして黒い駒を置いた。
いつもと違う調子に、水月は目を細める。
(さっさと進めて、オレに考える余裕を与えないつもりか? そんな小細工したところで、オレには関係ねぇんだけどな)
チュリックなら特に考えなくても盤面を見た瞬間に、どこへ駒を置き、どう攻めれば良いのかが分かる。
やり方を覚えた時からそんな状態だったため、今までチュリックで負けたことは一度もなかった。
それでも熟考するのは、全力で叩きのめして屈服させるか、少し相手を持ち上げて接戦の末に勝つか、それとも――と、どう負かせばこちらにとって利があるかを考えるためだった。
心の中で肩をすくめると、水月はイヴァンと同じ速さで駒を置く。
こちらの動きにイヴァンは驚くことはなく、「お前なら乗ってくるだろう」と言わんばかりに口端を上げていた。
ひと通りの訓練と仕事を夕刻前に終わらせた水月は、急ぎ足で兵舎へと向かう。
中へ入って顔見知りの兵士たちに「よっ」と手を上げ、簡単に挨拶をすると、二階への階段を上った。
そして廊下を渡り、兵舎の中央に位置する部屋の前で足を止めると、コンコンと軽く扉を叩いた。
「待っていたぞ、ナウム。早く入れ」
部屋の中から聞こえてきたイヴァンの威圧感が滲む声に、水月は眉間に皺を寄せる。
(いくら必要があるとはいえ、王子様の相手をするのは面倒臭ぇな……あー、考えるだけでも肩がこってくるな)
軽く肩を回して気持ちを切り替えると、水月は「失礼します」と扉を開けて体を潜らせる。
真っ先に視界へ入ってくるのは、正面を臨む窓。日は落ちたがまだ外は明るい。
窓の前にはチュリックの盤と駒が置かれた脚の短いテーブルと、それを挟んで向かい合う椅子が二脚。
その内の一脚に腰掛けていたイヴァンが、瞳を流してこちらを見ると、不敵な笑みを浮かべた。
「今日は口うるさいお目付け役はいないから、かしこまらずに話せ。敬語は絶対に使うなよ」
……ああ、今日は一段と面倒臭ぇな。
危うく思ったことが顔へ出そうになり、水月は笑って誤魔化す。
普段はルカもこの場にいるのだが、たまに別の用事で席を外すことがある。
そんな日はイヴァンと二人きりでチュリックをしながら、敬語抜きの報告を強要される。
どうしてそんな必要があるのかと尋ねたら、「敬語が煩わしいから」と返ってきた。
だが本当は少しでもこちらの本音を、敬語という言葉で隠させまいとすることが真の狙いなのだろう。
ルカがいれば阻止してくれるのだが……。
この場にいないルカを恨みながら、水月は「了解」と肩をすくめてイヴァンの前に座る。
それからおもむろに、胸元から銀貨を一枚取り出した。
「じゃあ、今日はどっちが先行になるか――」
水月が親指で銀貨を弾こうとした瞬間、イヴァンは黒い駒を手にする。
「先行はお前に譲る。少し試してみたい手があるからな」
チュリックは先行が有利になるゲーム。それを譲るということは――。
水月は小さくクッと笑いを零した。
「今まで一度もオレに勝てねぇのに、随分と大きく出たな。どんな手なのかじっくり堪能させてもらうぜ」
白い駒を摘み、盤面をじっくり眺めてから駒を置く。
水月が駒から指を離した直後、イヴァンが腕を伸ばして黒い駒を置いた。
いつもと違う調子に、水月は目を細める。
(さっさと進めて、オレに考える余裕を与えないつもりか? そんな小細工したところで、オレには関係ねぇんだけどな)
チュリックなら特に考えなくても盤面を見た瞬間に、どこへ駒を置き、どう攻めれば良いのかが分かる。
やり方を覚えた時からそんな状態だったため、今までチュリックで負けたことは一度もなかった。
それでも熟考するのは、全力で叩きのめして屈服させるか、少し相手を持ち上げて接戦の末に勝つか、それとも――と、どう負かせばこちらにとって利があるかを考えるためだった。
心の中で肩をすくめると、水月はイヴァンと同じ速さで駒を置く。
こちらの動きにイヴァンは驚くことはなく、「お前なら乗ってくるだろう」と言わんばかりに口端を上げていた。