詰襟狂騒曲
「みこちんさぁ、俺のことバカだと思ってるでしょ」


5月の昼下がり。

新緑が眩しいカフェテラスで、今日も私は大好きな彼と向かい合っている。

平日だというのに学生の姿をよく見かけるのは、ちょうど今が中間試験の真っ最中だから。


そして私の彼も、今その試験の一日目を終えてきたばかりだ。


試験期間中なので部活動は休みのはずなのだが、彼の後ろにはあの目立つ長い弓が、高貴な紫色の布袋に収まって立てかけられている。

休みを無視して弓道場に忍び込み、弓を引いてきたに違いない。


「バカだなんて思ったことないわ。むしろいつも尊敬してる。その発想力と集中力に」


私は普段思っていることをそのまま口にした。

しかし彼のふくれっつらは治まらない。


「具体的には?」

「例えば――北海道が“右”とかね」


ある日、彼が突然「北海道は右か左か」と訊ねてきたことがある。

私たちが住んでいるのは東京なので「上」と答えると「俺は右か左か聞いているんだ」とひどく怒られた。

彼曰く、上は空、下は地面なんだそうだ。

そんな三次元的発想に私はいたく感嘆した。


「やっぱバカにしてんじゃんかー」

「してない、してない。本当にあれは目からウロコ」

「何それ、なんかむっちゃ痛そうなんだけど」


目に魚のウロコが刺さっている状況を想像したらしい彼が、真剣に眉間に皺を寄せている。


思わず微笑んでしまい、更に彼の怒りを買ってしまう。


「そもそもさぁ、みこちんは俺みたいなバカ学生と一緒にいて楽しい?」


本格的に彼が拗ねてしまう前にと、私はテーブルの上に置かれた彼の手の上に、そっと自分の手を重ねた。


態度こそ子供っぽいが、タコの出来た弓手は関節が太く男らしい。

ひとまわりも離れているのに、自分の手の方が子供のように小さく見えるのだから不思議だ。


「すっごく楽しい。臨と出会ってから幸せよ、私」


あどけなく頬を染めて目を逸らす彼を追い立てるように、重ねた指をゆっくりと絡めてゆく。


ライター稼業を営む傍らではじめた、学習塾のバイトで出会えた理想の男子高校生。


夏を帯びた日差しの下でも、学ランの詰襟を決して緩めない、愛すべき愚直な男。


「……本当?」


自分に向けられた愛情を確認するだけの、上滑りな問いかけに


「本当よ」


真摯な口調で応えつつ、私の視線は彼の首もとを捉えて離さない。


かちりと閉じられた詰襟はまるで墨染の首輪のようだ、と私は思った。
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