七夕の出逢い
04話 父との対面
その週はぼうっとしながら過ごしていた。大学に行ってもなんだか身が入らず、同じ学部の彩香(さやか)さんにも、「どうなさったの?」と訊かれる始末。
でも、何をどう説明をしたらいいのかわからず、何も話せないでいた。
私と芹沢さんが交わした契約は、とても簡単な目くらまし。
特定の異性と親しくお付き合いしたことがない私が、何度も同じ相手とお会いするだけで「親しい間柄」なのだと周りは思うだろう。それが一定期間続けば「婚約者」と誤解される。私たちはその「誤解」を利用する。
芹沢さんがお父様にお会いしてくださるのは「交際」を認めていただくためのもので、「婚約」ではない。しかし、周囲は勝手に勘違いするだろう、という目論見。
「私たちは決して大勢を騙すわけではありません。勝手に勘違いする輩はカウントしなくていい。見合い相手には『交際している人がいる』と真実を話す。私たちが騙すのは真白さんのご家族のみです」
芹沢さんは、にこりと笑ってそう言った。
あの日から、家に帰ってくればいただいたメモ用紙を自室で眺める毎日。
「きれいな字、端整な顔、丁寧な言葉遣い……」
あの言葉遣いや扱いは、私が「藤宮真白」だから、かしら……。私は、私個人として見てほしい。それは、贅沢なことなのかしら……。
約束の土曜日、時間などどうしたらいいものかとメモ用紙を見つめたまま悩んでいた。
何度も自室と電話の前をを行ったり来たりするばかりで、なんの進展もない。そうこうしているうちに、部屋の外からお手伝いさんに声をかけられた。
「真白お嬢様、芹沢さんとおっしゃる方からお電話です」
「川瀬さん、ありがとう。すぐに行きます」
自室を出て、急いで電話が置いてある場所へ向かう。三度目の角を曲がり、ようやく電話置き場にたどり着いた。
息を整え、黒く、少し重い受話器を手にする。
「お待たせいたしました。……真白です」
『芹沢です。今日は行ってもいいのか、それとも、なかったことになっているのか。……その確認だけはするべきかと思いましてね』
「あ……」
『あのあと、連絡の一本くらいはいただけると思っていました。ところがありませんでしたので、当日の今になってこんな電話なのですが』
――私の意気地なし。
「すみません……。私からご連絡するべきでしたのに……。どうしても、どうしても電話する勇気がなくて――」
実際、何度も番号を回したし、今では十桁の番号がすっかり暗記されている。けれど、コール音が鳴るのを待つことなく受話器を置いてしまっていたのだ。
『真白さん、電話は噛み付いたりはしないものです』
「え……?」
『いえ……それでは今から伺いますが、ご自宅にご両親は?』
「おります。……兄も、おります」
『それは好都合ですね。とりあえずは、初々しくも仲のよい恋人を演じましょう』
どこか茶化したように話し、電話が切れた。
私の心臓はバクバクと駆け足をしている。でも、お見合い前に感じるストレスとかそういうものではなく……。
何、かしら……。これはいったいなんなのかしら……。
芹沢さんが来てからすぐに耳打ちされた。「自分のことは名前で呼ぶように」と。
名前の呼び方には付き合いの親密さが表れるからだろう。そのくらいはなんとなく理解ができたので、何も訊かずに頷いた。
右手に日本庭園を眺め、真っ直ぐ伸びる廊下を歩いて両親と兄が待つ応接室へと向う。
応接室はエアコンが適度に利いていた。
緊張からか、私の手は夏なのにひどく冷たくなっている。気がつけば、その手を掬い上げるように包む手があった。
芹沢さんの手が、つながれていた。
父は、いつもと同じように和服を身に纏っている。表情は穏やかだけど、眼光は鋭い。
一方、お母様は淡い紫色のワンピースを着ており、始終嬉しそうににこにこと笑っていた。
お兄様にお話をした時はとてもびっくりされたけど、すぐに太鼓判を押されるほどに喜ばれた。
これが偽装なんて後々言えそうにないと思うのは私だけかしら……。
そんなことを考えつつ、隣に立つ長身の男性を見上げる。私の視線に気づき、芹沢さんがにこりと笑ってくれた。
作られた笑顔とわかっていても、私は頬に熱を持つ。
「藤宮病院で消化器内科の医師をしている芹沢涼と申します。先日から真白さんとお付き合いさせていただいておりますが、本日はご両親にもお認めていただきたく、ご挨拶に伺いました」
「ほぉ、うちの真白となぁ? ……どこで出逢うた?」
お父様はそんなことを訊いてどうするのかしら……? 普通に考えたら病院しかないと思うのだけど――
芹沢さんはありのままを話す。
「病院の渡り廊下で気分が優れないところを通りかかりました。その後、胃潰瘍が見つかりましたので、今は私の患者でもあります」
「そうかそうか。病院か……で、何か? 君が欲しいのは金か? 地位か? 名誉か?」
っ……!?
「お父様っ、初対面の方に対して失礼ですっ」
黙ってはいられなかった。
初めて会ったとき、この人は……芹沢さんは私を知らなかった。知らなくとも、気分が悪いのか、と声をかけてくださった。
用意された車椅子に乗るのではなく、自分で歩きたいのではないか……とそこまで察してくださった。
「ふぅむ、真白が大声をあげるなぞ久しいのぉ?」
お母様に向かって言うと、
「えぇ、そうですわね」
柔らかな声が答える。
「今すぐ結婚どうこうとは考えおりませんが、お付き合いを認めてはいただけませんでしょうか」
「……よかろう。相手がいれば少しは見合いもセーブされるじゃろうて。真白の負担も減るじゃろう。のぉ?」
ギクリとした。父はすべてお見通しなのではないだろうか、と。
後ろめたさに身体を引きそうになったとき――背中にあたたかさを感じ隣を見上げる。と、芹沢さんに肩を抱き寄せられていた。
「それでは、これから少しドライブへ出かけてまいります。門限などはございますか?」
「真白も成人しておるからのぉ……とくには設けまい。ただし、そこらに警護のものはつけさせてもらう」
彼はうろたえることなく答える。
「穏やかじゃありませんね。……それではまいりましょうか?」
彼は左手を肩に添えたまま右手に私の手を取り、応接室の入り口へを向かって歩き出した。
車に乗ると手帳を渡される。黒革の、使いこまれたカバーがしてある手帳を。
不思議に思って芹沢さんの顔を見ると、
「それにあなたの名前と誕生日、それから、この時間なら必ず自宅にいるという時間を記入するように」
学校の先生のような口調で言われると、つい条件反射で「はい」と答えてしまう。
「……でも、どうして誕生日なのですか?」
「必ず自宅にいる時間」というのはわからなくもない。
「交際相手の誕生日を知らないのはどうかと思われるでしょう?」
あ、それは確かに……。でも、それならば――
「芹沢さんのお誕生日はいつですか?」
「九月十五日。あなたの六歳年上ですよ。十二月一日生まれの藤宮真白さん」
「私、まだ……」
誕生日言ってないのに――
「私の職業をお忘れですか?」
「お医者、様……?」
「カルテには名前のほかに性別や住所、電話番号、血液型、生年月日まで記載してあるものです」
「あ……」
運転をする涼さんの顔を見て目が合うと、自分でもびっくりするくらいに心臓がドキっとした。
ほんの一瞬、たった一瞬目が合っただけなのに――
表情筋を自由自在に操れるんじゃないかしら、と思うほどに、きれいに笑う人だった。
でも、知っているならなぜ訊いたりしたのだろう、と疑問に思う。
言われた項目を記入して手帳を閉じると、
「自分のことを知ってもらうのには、まず相手に訊くのが一番手っ取り早いとは思いませんか?」
信号で止まった車の中で、涼さんはいたずらっ子のように口にした。けれど、その言葉の意図がわからない。
「つまり、私があなたの誕生日を訊けば、あなたは私の誕生日をたずねるでしょう?」
「はい、おうかがいすると思います」
「私が自分のことを何も教えずにいたとします。そして、後々、誕生日を過ぎた後で教えてくれればよかったのに、とあなたに責められるのはいささか理不尽な気がしましたので、最初に知っておいてもらおうと思っただけのことですよ」
「……不思議な方ですね?」
「そうですか? あなたは顔や仕草に思っていることが出るので、非常にわかりやすいですよ。――ところで、私のフルネームは覚えていただけてるのでしょうか?」
「芹沢、涼さん……」
「えぇ、その通りです。下の名前で呼ぶことに慣れてくださいね?」
「は、い……」
涼さんはにこりと笑い、前の車に続いて車を発進させた。
でも、何をどう説明をしたらいいのかわからず、何も話せないでいた。
私と芹沢さんが交わした契約は、とても簡単な目くらまし。
特定の異性と親しくお付き合いしたことがない私が、何度も同じ相手とお会いするだけで「親しい間柄」なのだと周りは思うだろう。それが一定期間続けば「婚約者」と誤解される。私たちはその「誤解」を利用する。
芹沢さんがお父様にお会いしてくださるのは「交際」を認めていただくためのもので、「婚約」ではない。しかし、周囲は勝手に勘違いするだろう、という目論見。
「私たちは決して大勢を騙すわけではありません。勝手に勘違いする輩はカウントしなくていい。見合い相手には『交際している人がいる』と真実を話す。私たちが騙すのは真白さんのご家族のみです」
芹沢さんは、にこりと笑ってそう言った。
あの日から、家に帰ってくればいただいたメモ用紙を自室で眺める毎日。
「きれいな字、端整な顔、丁寧な言葉遣い……」
あの言葉遣いや扱いは、私が「藤宮真白」だから、かしら……。私は、私個人として見てほしい。それは、贅沢なことなのかしら……。
約束の土曜日、時間などどうしたらいいものかとメモ用紙を見つめたまま悩んでいた。
何度も自室と電話の前をを行ったり来たりするばかりで、なんの進展もない。そうこうしているうちに、部屋の外からお手伝いさんに声をかけられた。
「真白お嬢様、芹沢さんとおっしゃる方からお電話です」
「川瀬さん、ありがとう。すぐに行きます」
自室を出て、急いで電話が置いてある場所へ向かう。三度目の角を曲がり、ようやく電話置き場にたどり着いた。
息を整え、黒く、少し重い受話器を手にする。
「お待たせいたしました。……真白です」
『芹沢です。今日は行ってもいいのか、それとも、なかったことになっているのか。……その確認だけはするべきかと思いましてね』
「あ……」
『あのあと、連絡の一本くらいはいただけると思っていました。ところがありませんでしたので、当日の今になってこんな電話なのですが』
――私の意気地なし。
「すみません……。私からご連絡するべきでしたのに……。どうしても、どうしても電話する勇気がなくて――」
実際、何度も番号を回したし、今では十桁の番号がすっかり暗記されている。けれど、コール音が鳴るのを待つことなく受話器を置いてしまっていたのだ。
『真白さん、電話は噛み付いたりはしないものです』
「え……?」
『いえ……それでは今から伺いますが、ご自宅にご両親は?』
「おります。……兄も、おります」
『それは好都合ですね。とりあえずは、初々しくも仲のよい恋人を演じましょう』
どこか茶化したように話し、電話が切れた。
私の心臓はバクバクと駆け足をしている。でも、お見合い前に感じるストレスとかそういうものではなく……。
何、かしら……。これはいったいなんなのかしら……。
芹沢さんが来てからすぐに耳打ちされた。「自分のことは名前で呼ぶように」と。
名前の呼び方には付き合いの親密さが表れるからだろう。そのくらいはなんとなく理解ができたので、何も訊かずに頷いた。
右手に日本庭園を眺め、真っ直ぐ伸びる廊下を歩いて両親と兄が待つ応接室へと向う。
応接室はエアコンが適度に利いていた。
緊張からか、私の手は夏なのにひどく冷たくなっている。気がつけば、その手を掬い上げるように包む手があった。
芹沢さんの手が、つながれていた。
父は、いつもと同じように和服を身に纏っている。表情は穏やかだけど、眼光は鋭い。
一方、お母様は淡い紫色のワンピースを着ており、始終嬉しそうににこにこと笑っていた。
お兄様にお話をした時はとてもびっくりされたけど、すぐに太鼓判を押されるほどに喜ばれた。
これが偽装なんて後々言えそうにないと思うのは私だけかしら……。
そんなことを考えつつ、隣に立つ長身の男性を見上げる。私の視線に気づき、芹沢さんがにこりと笑ってくれた。
作られた笑顔とわかっていても、私は頬に熱を持つ。
「藤宮病院で消化器内科の医師をしている芹沢涼と申します。先日から真白さんとお付き合いさせていただいておりますが、本日はご両親にもお認めていただきたく、ご挨拶に伺いました」
「ほぉ、うちの真白となぁ? ……どこで出逢うた?」
お父様はそんなことを訊いてどうするのかしら……? 普通に考えたら病院しかないと思うのだけど――
芹沢さんはありのままを話す。
「病院の渡り廊下で気分が優れないところを通りかかりました。その後、胃潰瘍が見つかりましたので、今は私の患者でもあります」
「そうかそうか。病院か……で、何か? 君が欲しいのは金か? 地位か? 名誉か?」
っ……!?
「お父様っ、初対面の方に対して失礼ですっ」
黙ってはいられなかった。
初めて会ったとき、この人は……芹沢さんは私を知らなかった。知らなくとも、気分が悪いのか、と声をかけてくださった。
用意された車椅子に乗るのではなく、自分で歩きたいのではないか……とそこまで察してくださった。
「ふぅむ、真白が大声をあげるなぞ久しいのぉ?」
お母様に向かって言うと、
「えぇ、そうですわね」
柔らかな声が答える。
「今すぐ結婚どうこうとは考えおりませんが、お付き合いを認めてはいただけませんでしょうか」
「……よかろう。相手がいれば少しは見合いもセーブされるじゃろうて。真白の負担も減るじゃろう。のぉ?」
ギクリとした。父はすべてお見通しなのではないだろうか、と。
後ろめたさに身体を引きそうになったとき――背中にあたたかさを感じ隣を見上げる。と、芹沢さんに肩を抱き寄せられていた。
「それでは、これから少しドライブへ出かけてまいります。門限などはございますか?」
「真白も成人しておるからのぉ……とくには設けまい。ただし、そこらに警護のものはつけさせてもらう」
彼はうろたえることなく答える。
「穏やかじゃありませんね。……それではまいりましょうか?」
彼は左手を肩に添えたまま右手に私の手を取り、応接室の入り口へを向かって歩き出した。
車に乗ると手帳を渡される。黒革の、使いこまれたカバーがしてある手帳を。
不思議に思って芹沢さんの顔を見ると、
「それにあなたの名前と誕生日、それから、この時間なら必ず自宅にいるという時間を記入するように」
学校の先生のような口調で言われると、つい条件反射で「はい」と答えてしまう。
「……でも、どうして誕生日なのですか?」
「必ず自宅にいる時間」というのはわからなくもない。
「交際相手の誕生日を知らないのはどうかと思われるでしょう?」
あ、それは確かに……。でも、それならば――
「芹沢さんのお誕生日はいつですか?」
「九月十五日。あなたの六歳年上ですよ。十二月一日生まれの藤宮真白さん」
「私、まだ……」
誕生日言ってないのに――
「私の職業をお忘れですか?」
「お医者、様……?」
「カルテには名前のほかに性別や住所、電話番号、血液型、生年月日まで記載してあるものです」
「あ……」
運転をする涼さんの顔を見て目が合うと、自分でもびっくりするくらいに心臓がドキっとした。
ほんの一瞬、たった一瞬目が合っただけなのに――
表情筋を自由自在に操れるんじゃないかしら、と思うほどに、きれいに笑う人だった。
でも、知っているならなぜ訊いたりしたのだろう、と疑問に思う。
言われた項目を記入して手帳を閉じると、
「自分のことを知ってもらうのには、まず相手に訊くのが一番手っ取り早いとは思いませんか?」
信号で止まった車の中で、涼さんはいたずらっ子のように口にした。けれど、その言葉の意図がわからない。
「つまり、私があなたの誕生日を訊けば、あなたは私の誕生日をたずねるでしょう?」
「はい、おうかがいすると思います」
「私が自分のことを何も教えずにいたとします。そして、後々、誕生日を過ぎた後で教えてくれればよかったのに、とあなたに責められるのはいささか理不尽な気がしましたので、最初に知っておいてもらおうと思っただけのことですよ」
「……不思議な方ですね?」
「そうですか? あなたは顔や仕草に思っていることが出るので、非常にわかりやすいですよ。――ところで、私のフルネームは覚えていただけてるのでしょうか?」
「芹沢、涼さん……」
「えぇ、その通りです。下の名前で呼ぶことに慣れてくださいね?」
「は、い……」
涼さんはにこりと笑い、前の車に続いて車を発進させた。