地球の三角、宇宙の四角。
昭蔵さんとケンカをして、帰ってこなくなってちょうど1週間経つ。
なにか気に障るようなことをしたのか、言ったのか思い出そうとするが、少し考えるとそうじゃないとわかる。そして「しかたがないか」という独り言でまとめてしまう。
積み重ねが今を作っている。
薄々は分かっていた。昭蔵さんにとって、今の僕は価値がない。価値が無くなったのだと。
僕は昭蔵さんの心の中にある天秤の揺れを見ないようにしていた。
昭蔵さんは、最近ふとした時に自分の歳の事と僕の将来のことを気にしていた。
それでも一緒にいたいか、いてもいいものなのかと自問自答の天秤にかけ続けてくれていたんだ。
一緒にいたいとその度に思ってくれていたから一緒にいたのだけの話で、いよいよその揺れていた天秤は大きく反対側に傾いたのだ。
ただそれだけと言えば、それだけのこと。
この一週間を作ったのは、その天秤が、もうびくともしないというだけのことであり、そして自分からはその天秤をもう一度反対側にどうにかする事も何も出来ないので、それは続くのだろう。
そして少しづつではあるのだろうけど忘れていくのだと思う。僕に出来ることは少しづつ忘れていく事だけなのだろう。
色んな問題があった。原因はすべて自分にある。熱心に仕事をしなくなった事も大きい。
もともとコンビニの店員であった僕には、たいした野心も欲もなかった。昭蔵さんに出会う前は、なるべく誰にも迷惑をかけないように、なるべく辛いとか悲しい思いを避けて暮らしていた。
大きく望まなければ、大きく悲しまない。そんな暮らしだった。
そんなときになぜか、昭蔵さんと出会ってしまった。
最初は同情だった。コンビニで突然倒れて、救急車を呼んだのが始まり。
身よりもなさそうなので、お見舞いにもいった。印象として、人の話もロクに聞けないで自分の話バッカリする寂しい老人だった。
その後、回復してからも老人とロイヤルホストに行った。
寂しい老人の話し相手をすることで気分良く善人っぷりたかったわけでもないが、暇だったし、断るなんて強い意志はなかった。断るというのも結構しんどいものだ。
帰る間際に、店の外でお小遣いをもらった時に罪悪感こそあったが、これ社会貢献、ギブアンドテイクなんて思い。はぐらかしその足でパチンコ屋に行った。
会って話をする度に昭蔵さんは変わっていった。
僕の話を聞くようになり、僕に人生についての助言までするようになった。
自分だけが一方的に話す最初の頃と違って聞こえたのは積み重ねていった信頼関係と、いつのまにかお互いがお互いの事を必要としていたからだろう。
さみしかった。
早い話が、お互い大きく欠けていたのだ。誰でも良かったのかと思うとよくわからない。ただなんとなくではあったが何回も会うことで、そのたびに積み重なっていったのだ。
愛というものが大きなものであるとするのなら、それは少しずつの積み重ねで、何層にもなっているのだと知った。
そして、僕は昭蔵さんさえ傍にいればそれで良くなったのだ。
お互いが考えていることも分かるし分かろうとすることで、2人の心の距離はずいぶんと縮まったが、だんだんとつらくもなってきた。
僕はコンビニのバイトにもあまりいかなくなり、昭蔵さんの家で昭蔵さんの貯金で暮らすようになる。
昭蔵さんは僕には甘く、そのことについてはあまり言わなかったが、いわないだけで、思っていることぐらいは手に取るように分かっていた。
それがつらかった。
なにか気に障るようなことをしたのか、言ったのか思い出そうとするが、少し考えるとそうじゃないとわかる。そして「しかたがないか」という独り言でまとめてしまう。
積み重ねが今を作っている。
薄々は分かっていた。昭蔵さんにとって、今の僕は価値がない。価値が無くなったのだと。
僕は昭蔵さんの心の中にある天秤の揺れを見ないようにしていた。
昭蔵さんは、最近ふとした時に自分の歳の事と僕の将来のことを気にしていた。
それでも一緒にいたいか、いてもいいものなのかと自問自答の天秤にかけ続けてくれていたんだ。
一緒にいたいとその度に思ってくれていたから一緒にいたのだけの話で、いよいよその揺れていた天秤は大きく反対側に傾いたのだ。
ただそれだけと言えば、それだけのこと。
この一週間を作ったのは、その天秤が、もうびくともしないというだけのことであり、そして自分からはその天秤をもう一度反対側にどうにかする事も何も出来ないので、それは続くのだろう。
そして少しづつではあるのだろうけど忘れていくのだと思う。僕に出来ることは少しづつ忘れていく事だけなのだろう。
色んな問題があった。原因はすべて自分にある。熱心に仕事をしなくなった事も大きい。
もともとコンビニの店員であった僕には、たいした野心も欲もなかった。昭蔵さんに出会う前は、なるべく誰にも迷惑をかけないように、なるべく辛いとか悲しい思いを避けて暮らしていた。
大きく望まなければ、大きく悲しまない。そんな暮らしだった。
そんなときになぜか、昭蔵さんと出会ってしまった。
最初は同情だった。コンビニで突然倒れて、救急車を呼んだのが始まり。
身よりもなさそうなので、お見舞いにもいった。印象として、人の話もロクに聞けないで自分の話バッカリする寂しい老人だった。
その後、回復してからも老人とロイヤルホストに行った。
寂しい老人の話し相手をすることで気分良く善人っぷりたかったわけでもないが、暇だったし、断るなんて強い意志はなかった。断るというのも結構しんどいものだ。
帰る間際に、店の外でお小遣いをもらった時に罪悪感こそあったが、これ社会貢献、ギブアンドテイクなんて思い。はぐらかしその足でパチンコ屋に行った。
会って話をする度に昭蔵さんは変わっていった。
僕の話を聞くようになり、僕に人生についての助言までするようになった。
自分だけが一方的に話す最初の頃と違って聞こえたのは積み重ねていった信頼関係と、いつのまにかお互いがお互いの事を必要としていたからだろう。
さみしかった。
早い話が、お互い大きく欠けていたのだ。誰でも良かったのかと思うとよくわからない。ただなんとなくではあったが何回も会うことで、そのたびに積み重なっていったのだ。
愛というものが大きなものであるとするのなら、それは少しずつの積み重ねで、何層にもなっているのだと知った。
そして、僕は昭蔵さんさえ傍にいればそれで良くなったのだ。
お互いが考えていることも分かるし分かろうとすることで、2人の心の距離はずいぶんと縮まったが、だんだんとつらくもなってきた。
僕はコンビニのバイトにもあまりいかなくなり、昭蔵さんの家で昭蔵さんの貯金で暮らすようになる。
昭蔵さんは僕には甘く、そのことについてはあまり言わなかったが、いわないだけで、思っていることぐらいは手に取るように分かっていた。
それがつらかった。